ピン芸人「もう中学生」、ブレイク前に憧れていた意外な芸人像
養成所に入る前は漫才をやりたかった
――中学校で陸上部、高校で野球部に入っていたそうですね。この頃は、まだお笑いの活動はしていなかった?
もう中学生:運動部にいたのは、父ちゃんが野球好きだった影響もあると思います。でも、ちょっとした面白い言葉をメモする習慣はありました。「アメダス」「クッキー缶のフタ」「この木、なんの木、気になる木」とか、とにかく引っ掛かりのあるフレーズを書き留めてはいましたね。
それから、高速バスのチケットを買って、1人でお笑いライブを見に行ったりもしてました。ライブを見るために東京まで行くのは、学校でも僕だけだったと思います。
――高校卒業して、すぐに今の事務所の養成所に入られています。これも松本人志さんにあこがれて?
もう中学生:それもありますし、下ネタがやりたかったのもあります。自分にはなんの得意ジャンルもないから「裸になることしかできない」と思って。その頃、今の事務所に漠然と下ネタのイメージがあったから、ここに入ればできるのかなと。
あと、養成所に入ったら漫才をやりたいと考えていたんです。他事務所の養成所だと募集人数が50人とかだったから、自分と合う人が見つからない不安もあった。それで、人数が多いところを選んだっていうのもありますね。
大家さんの「よさが消えちゃってる」でピン芸人に
――すると、養成所では漫才コンビを組んでいた?
もう中学生:いえ、養成所に入って1か月で「漫才はやめよう」と思いました。やっぱりみんな漫才もコントも上手だし、自分がやったら埋もれてしまうと。
ただ、反対に「それ以外をやれば目立つんじゃないか?」とも思ったんです。そんなときに、いつも三連プリンを買いに行っていた薬局で段ボールの山積みを見つけて。「これでなにかできないかな?」と考えてネタをつくりはじめたのが、自分の芸の形につながっていきました。
――養成所を卒業後、ピンでの活動に不安はありませんでしたか?
もう中学生:養成所を卒業して、初めて学校という括りから出た瞬間に「うわっ」って恐くなりましたね。ただ、養成所時代に目をつけてくれた方からの誘いを受けて、4人組で活動をすることになったので少し救われました。
結成して半年くらい経った頃、当時住んでいたアパートの大家さんがライブを見に来てくれたんですけど、「あなたのよさが消えちゃってる。ただ、売れたときに恨まれないために1年かけて脱退しなさい」って忠告を受けたんです。そしたら、本当にそのくらいでふと「1人で活動しよう」って思った。
結果的にですけど、その後にピンでテレビに出させていただいたりもしたので、よかったのかなと思います。