「この娘達を全部売る!」アラフィフ漫画家が目撃した、蒸発した父の背中<漫画>
楽園のようなフィリピン生活
──現地では、どのように過ごされていたのですか?
近藤:それはもう……楽しい日々で(笑)。親父のもとでレッスンを受けるフィリピン女性の方からチヤホヤされたり、夜は現地の若いスタッフと飲みにいったり。当然、親父の金ですから、とことん楽しんでましたよ。
──現地で創作しようという気持ちは?
近藤:一応、紙とペンは持っていきましたが……。3日ともたなかったですね(笑)。まだまだ、遊びたい盛りですし、自信を喪失した直後ですからね。もうそのまま住んじゃおうかなと思うぐらいでしたから。
帰国後はパチンコ漫画家に
──かなり楽しい日々を過ごされていたのですね。そこから、どういうきっかけで、再び創作に向き合うことになったのですか?
近藤:日本に戻った時に、パチンコ漫画を描かれていた先生のもとでアシスタントをすることになりまして、いつの間にやらぼくも作品を描くようになって。思いもよらずっていう。
──当時は、パチンコがお好きだったのですか?
近藤:ぜんぜん、知らなくて。最初は、雑誌の編集者の方に連れて行ってもらって、いっしょにパチンコをするうちにハマっていきました。しかも、ちょうど時代がパチンコブームになって、専門の雑誌が次々と創刊される中で、ぼくの連載も次々に増えていきましたね。最高で、平行しながら4~5本の連載を持ってたんじゃないかな。