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トヨタの新型「クラウン」斬新なデザインは賛否両論。その想いを開発責任者に聞く

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 これまで2億台以上のクルマを生産し、自動車メーカーとして不動の地位を確立してきたトヨタ自動車。そんなトヨタにとって特別な存在であり、国産高級車として名高いブランドが「クラウン」だ

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新型クラウンのチーフエンジニアを務めるトヨタ自動車株式会社の皿田明弘氏

 1955年に日本初の純国産乗用車として誕生以来、65年以上にわたって歴史にその名を残してきた。2022年7月には通算16代目となる新型クラウンを発表。今までにない斬新なデザインは、大きな反響を呼んでいる。新型クラウンの開発責任者であり、チーフエンジニアを務める皿田明弘氏に、クラウンが時代を超えて愛されてきた理由や新型クラウンにかける想いを聞いた。

クラウンには創業者の想いが原点にある

 1955年に初代クラウンが生まれ、トヨタのフラッグシップとして成長を遂げてきたわけだが、ひとつのクルマが16代も続いているのは世界でも類を見ないという。

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新型クラウンのキャンペーン広告「DISCOVER YOUR CROWN.」

 しかし一方でどんなに時代が変化し、人々のライフスタイルが多様化しても、根底には「多くの人に乗用車を提供し、日本の人々の暮らしを豊かにしたい」という創業者(豊田喜一郎)のマインドが受け継がれてきた。

「創業者の想いに向き合い、クラウンの初代主査を務めた中村健也さんが、日本の生活シーンを良くする一心でクラウンの開発に取り組んだ姿勢が、今も脈々と受け継がれています。信念を持って人にモノを売るということは『自分の心でいいと思うもの、本当のお客様の心が入ったもの』を作るということ。このようなクラウンのDNAを歴代主査が、常に伝統を守りながらも革新的な試みをしていく気概に結びついています」

国産高級セダンとして憧れの存在に

 日本の高度成長期到来の波に乗るべく、1959年にはのちに東洋一の乗用車生産工場と呼ばれる「元町工場」が建設され、量産体制を整える。クラウンは販売台数を伸ばし、そして1967年には“白いクラウン”というキャッチコピーのもとに3代目クラウンが登場。

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白いクラウンと呼ばれた「クラウン デラックス」

 従来の黒塗りではない白いクラウンは、日本の街の景色を変える幸せなハイライフの象徴として、自家用市場の拡大を図ったものだった。さらにバブル前夜の1983年には、今もなお語り継がれる7代目クラウンが発表される。“いつかはクラウン”というフレーズは、憧れとして人々に強く印象付けられた

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1983年の7代目クラウン「クラウン セダン 2800 ロイヤルサルーンG」

 クラウン伝統の「王冠マーク」は、シンボルとしてその存在感を確固たるものにし、日本を代表する高級セダンの代名詞として花開いていったのだ。

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