本木雅弘、草彅剛が演じた「最後の将軍」。趣味に生きた男の“最大の功績”
最も短い在任期間だが、一番の長生き
明治三十五年、慶喜は公爵に叙された。すでに徳川宗家が公爵に叙されており、それとは別に慶喜は爵位を賜ったのである。さらにいえば、慶喜の嫡男(四男)厚が徳川からの分家を認められ、男爵に叙されていた。それとも別に爵位を慶喜に与えたわけで、明治天皇の厚遇がよくわかる。
東京に来て慶喜が最も好んだ趣味は写真と狩猟であった。とくに鳥打ちに熱中し、多くの鳥を捕えては使用人たちに下賜したといわれる。『女聞き書き 徳川慶喜残照』によれば、猟仲間として皇太子(のちの大正天皇)がおり、よく一緒に狩猟に出かけたという。皇太子は慶喜を「ケイキさん」と呼び、慶喜は皇太子を「殿下」と呼んだ。
あるとき、皇太子は慶喜が持つ最新の銃を欲しがったので、慶喜は似た銃を探して贈呈したという逸話も残る。いずれにせよ、次期天皇に慕われた慶喜は感無量だったろう。慶喜は七十七歳で死去するが、それは明治の世が終わった大正二年(一九一三)十一月二十二日のことだった。慶喜は歴代将軍のなかで最も在任期間が短いが、一番の長生きであった。
<TEXT/歴史研究家 河合敦>