米国でアジア系ヘイト急増。“永遠の外国人”扱いは、なぜ変わらないのか
「ナイフとフォークじゃないだろ。箸を使えよ」
『ミナリ』で描かれた1980年代、僕自身はロンドンにいて、地元の小学校に通っていました。当時、海外にいる日本人家庭は子どもを日本人学校に通わせることが多かった。日本に戻ったあと、日本の学校教育のカリキュラムにちゃんと馴染めるようにするためです。ここでは、日本人の子どもたちが集まって日本語で授業を受けます。たしか、その当時は日本人学校が小学3年生からしかなくて、最初は地元の小学校に日本人が何人かいたんですが、ある時期からみんな日本人学校に行ってしまいました。
僕は親と今後どうするか話をしたときに、せっかくロンドンにいて、友達もいるし、英語も勉強してしゃべれるようになっているのに、日本人だけの場所に行ってはもったいないと思ったので、地元の学校に通うことにしました。そしたら、東アジア出身の人が学校で僕と弟だけという状況が生まれました。
このときに、今でも鮮明に覚えている出来事が起こります。学校の食堂で普通にランチをとっていたんですね。マッシュポテトと肉か何かをナイフとフォークで食べていたら、そこに上級生が何人かで「チャイナマーン、チャイナマーン」と歌いながらやってきた。
それで、いきなり僕のトレーをバーン! とはたいて、机からたたき落として「ナイフとフォークじゃないだろ、お前は。箸を使えよ」と言われたんですね。「Use your chopsticks, China Man」と。で、そのあと笑いながら彼らは食堂から出て行ってしまったわけですけども。
悪気があるのではなく、単純に知識がないだけ
この経験は僕にとっては非常に大きくて。ナイフとフォークを使ってご飯を食べていること自体でいじめに遭うという、非常にわかりやすい差別体験です。これで分かったことは、僕は普通に英語がしゃべれるし、ナイフとフォークは使えるけれど、そういった“個人”というものはまったく関係なく、“属性”に入れ込まれて、ステレオタイプ的な判断をされてしまうことがあるということ。
ちなみにこの経験以外にもありまして。当時日本はバブルでしたから、日本人は“エコノミックアニマル”なんて言われていました。特に非常に金遣いの荒い日本人観光客が話題になっていて、みんな首からカメラをぶら下げて、眼鏡をかけて、というすごくステレオタイプな描写をされていた。で、「お前も大人になったらあんな感じになるんだろ」みたいなことを言われる。
もはや悪気があるないというよりも、単純に知識がないので、そういうもんだと思われていたわけです。彼らは日本がどこにあるのかも知らない、韓国がどこにあるのかも知らない、中国がどこにあるのかも知らない。だけど、とりあえずお前らは、みたいな話になるわけですね。