海外就職した20代男のトンデモ行動。従業員を「馬鹿1号、2号」とあだ名で
若いビジネスマンのなかには海外で働くことを目標にかかげる人も多いでしょう。しかし、なかには個人的な事情で海外勤務を余儀なくされ、そこで思いもよらぬ「どん底」な経験を味わうケースもあります。
日本を離れ、ベトナムで日本語の家庭教師をしている田川浩二くん(仮名・30代半ば)。日本ではアルバイトをいくつか経験してきたものの、いつも店長や先輩たちと険悪になり、すぐにやめてしまうとか。そして、海外で就職した当時20代の彼を待っていたのは思いもよらぬ結末でした――。
日本以外の世界がみたい
北九州出身の田川くんは東京の大学へ進学。長期休みのたびに海外へと飛び出す学生でした。
「大学も空港の場所で選びました。関西の大学にも合格しましたが、大学が関西だと関西国際空港になるでしょう? 東京と比べて関西経由は航空券が高いので、成田空港発の東京の大学を選びました。学校が休みになると、ひたすら日本を出ました。日本以外ならどこでもよかった。海外のおもしろさは日本では味わえないものだからです」
当初は趣味のスキューバダイビングをしに各国の海を回っていたそうですが、やがて背負うものを酸素ボンベからバックパックに変えて、陸を回る。コンゴで高熱を出して死にかけ、コロンビアでは強盗に殺されかけ……と、日本ではできない経験に、田川くんは人生の本義のようなものを感じとっていたそうです。
上辺だけの接客は無理
そんなエピソードを語る田川くんですが、意外な欠点があります。それは極端に融通がきかないこと。彼のこんな仕事観にもそれは現れています。
「日本だと“お客さまは神様”ですよね? 僕はそれでいいとは思いません。人は平等でしょう。お客さまを神様といったら、それはお金が一番というのと同じです。だから、僕はコンビニでもスーパーでも働くのは無理です。そうして嘘のスマイルを続けているから、日本社会は窮屈で、本音が出しづらくなったのでしょう」
もっと気楽にバイトできればいいのにと感じてしまいますが、なかなか彼はそれを直せないそうです。