美川憲一、“飾らない言葉”のブログが話題に「シンプルに生きるとラクになる」
「この世に出なかったかもしれない子なのよ」
美川:母が薬を飲んでいたら、私は生まれなかったかもしれないの。ドラマみたいな話でしょ。
結局、母のお腹がどんどん大きくなって、父は逃げちゃったのよ。(母は)妻子ある男性に騙されたのよ。その後、父の実家に行ったら奥さんが土下座して、お金あるからもらって欲しいって言って。それで、もうその人とは縁を切ったのね。……でもそれから母は肺結核にかかって、姉に私を預けたの。
──美川さんは、その話をいつ頃知ったのですか。
美川:中学生の頃。でもね、それには母の計算もあったのよね。何かあると「あんたはね、この世に出なかったかもしれない子なのよ」って。普通、親はそんなこと言わないでしょ。すごいビックリして。でも、さらに「だからあんたはしぶといのよ」って(笑)。その頃からあたしの体にはしぶとさが身についているのよ~。
つらい顔を絶対見せなかった“2人の母”
──美川さんにとって2人のお母さんは、それぞれどんな印象ですか。
美川:2人とも絶対に諦めないのよね。つらいっていう顔も見せない。義理の父親は、友達の保証人になったことから返済ばかりで……。生活費に困って、最期は私の目の前で、脳溢血で倒れて亡くなったんです。養母は風呂敷包みひとつあったら、どこでも働きに行くような人だったの。一人でご飯を食べて待っていたわ。
テレビも買えない時代で。でも隣の家はテレビがあって、「坊や、見においで」って言ってくれたけど、意地でも行かなかったわね。自分の家はこういう家なんだから、それはしっかりと受け止めようと、最低限の子供のプライドだったんです。自分の部屋でお布団を敷いて、(育ての)母が帰ってくるのをポツンと待っているような子でした。
やっぱり養母に心配をかけちゃいけないっていうことと、お小遣いが欲しいなと思っても言えないみたいなところがあって……我慢ですね。
我慢することって、すっごく大事なことなのよ。我慢して、我慢してつらいことを乗り越えた先に喜びがあるのよね、必ず。それは大きい喜びもあれば小さい喜びもあるけど、そのときにすっごく喜ぶこと。