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難病を克服した31歳・元巨人プロ野球選手が決めた「3度目の新天地」

学び

高校生活を支えた「母の言葉」

柴田章吾さん

愛工大名電高校時代の柴田さん

 突然夢が失われてしまい、「悔しかった」という柴田さん。それまで、絶えることがなかった強豪高校からの誘いも、病気をきっかけにパタリと止まったそうだ。そのような状況のなか、「病気のことも理解して迎え入れてくれた」という名門、愛工大名電高校に進学すると、高校3年の夏の大会では、長年の目標だった甲子園出場を果たしました

「高校時代の多くは、チームの手伝いやグランド整備、さらには『どうすれば良いボールが投げられるか』といったイメージトレーニングばかりで、ほとんど皆と同じ練習ができませんでした。練習量が限られるなか、いかに効率よく取り組むかを心がけました」。

 思うように練習ができない焦りや、もどかしさを感じながらの高校生活を送る柴田さんの支えになったのは、病にかかった頃に母から教わった「ありがとう」という言葉だった

「ベーチェット病にかかった頃、母から『もし、お腹が痛くなったら、ありがとうと言いなさい』と言われまして、その時は自分の母ではありますけども、『どうかしちゃったのかな?』と思いました(苦笑)」

甲子園を引き寄せた「ありがとう」

 でも、何とか病気を打破したいという気持ちもありましたし、『ありがとう』という前向きな言葉を言い続けることで、ツラい状況になった時でも、プラス思考やワクワク感が芽生えてくる。できる限り前向きな言葉を使うように意識して過ごしていたら物事が好転する連鎖が起きたんです」

 柴田さんが高校3年生の時には、実際に「ありがとう」の言葉に助けられる場面があったそうだ。

「高校3年生の夏、甲子園の愛知県予選の時でした。体調は徐々に回復していたのですが、ちょうど大会の2週間前にヘルニアにかかってしまいました。まともに歩けない状況のなかでも、『ありがとう』を欠かさずに言うようにしていたら、なんと雨で試合が延期続きになりまして……。治療にあてられたおかげで準々決勝では腰の状態が回復し、無事に試合で投げることができました。その後に行われた夏の甲子園でも、不思議と痛みは消えていましたし、前向きな言葉が良い状況を引き寄せてくれたかなと思っています」

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