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「このハゲー!」からキャラ変した豊田真由子氏、元秘書が語る意外な素顔

学び

50か所の祭り全てに顔を出す

夏祭り

「豊田さんは、これまでの人生でお会いした方の中で、一番『仕事が出来る人』でした。官僚としてハードな仕事をこなされてきたので、それが当たり前なんでしょうね。もし、日本の政治家全員が、政治家だった頃の豊田さんくらいハードに働いたら、日本は相当良い国になっていくと思いますよ

 辛い秘書の仕事のなかで一番辛い季節は、意外にも国会が開かれていない「夏」だとAさんは、当時を懐かしそうに語る。

「夏は各地でお祭りがあるんです。毎週末の土日に行われて、全部で50か所くらいでした。秘書をしていた時は、早朝から新聞で地元の記事を探して、地元で行われるすべてのお祭りに顔を出すようにしていました。『顔を出さない』という先生もいらっしゃいますが、うちの事務所では、絶対に漏れないように細心の注意を払っていましたね。地図を眺めながら、効率の良いルートを考えて周る。本当に体力が必要な仕事でした。

 私自身も、なぜあそこまでストイックに働けたのかわからないです。でも、地元の人達は裏切れないという気持ちは、胸の片隅にあったような気がしますね」

1年間の経験が名刺の代わりに

「後悔はないです。普通に生きていたら出来ないような経験もできましたし、学ぶことは多かった」と話すAさん。豊田氏の一連の報道以降、A氏の人生にも、思わぬ変化があったそうだ。

「実際は秘書を少しだけやっただけなんですが、その経歴から、本当に忍耐力がある人材だと思われるらしいんです。だから、さまざまな所からお声がけをいただいたりもするのは、ありがたく思っています。

 ただ、秘書時代よりも辛い仕事の依頼も増えましたかね……。決まって『あそこの秘書よりは楽だから』と言われるんですが、実際には、秘書のときより何倍も辛い仕事だったこととかはありました(苦笑)」

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