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元TBSアナ久保田智子さんが後悔する「女子アナの#Me Too」と、報道のあり方

ビジネス

 人気アナウンサーというポジションを離れ 、現在は戦争の記憶を後世に残すオーラルヒストリー(口述歴史)の聞き手、被爆体験伝承者として活動する元TBSアナウンサーの久保田智子さん

久保田智子

原爆死没者慰霊碑は広島平和記念資料館と原爆ドーム(旧:広島県産業奨励館)を結ぶ直線上に設置されている

 前回のインタビューでは、意外なセカンドキャリアを歩み出した背景を聞いたが、局アナという立場を離れたからこそ、テレビの抱える問題点や矛盾にも気がついたという。

テレビアナウンサーが抱える問題と矛盾

「今でもテレビが大好きだし、ラジオも好き。やはりメディアでしかできないこともあります。でも、テレビがまだ遅れていると感じるのは、これだけ世の中でジェンダー平等が叫ばれている中で、女性アナウンサーが昔ながらの役割になりがちだということです。今でも女性はお飾りのような姿だけをテレビで流すのでは、本当に問題だと思います。過渡期なのだとは思いますが、アナウンサーも男女問わず、もっと自分の考えを語る姿を見せるべきです」

 そして、アナログな「女子アナ」像だけでなく、アナウンサーに求められる「好感度」の内容に変化が起き始めているとも指摘する。

「報道アナウンサーの仕事はニュースを伝えることです。まずはニュースを見てもらえないと困るので、視聴者に嫌われないこと、好感度は重要です。だから清廉さが求められがちす。でも、これからはそれ以上のものが求められるはず。見た目の好感度だけでなく、その人の言っていることまで共感できるかも問われるはずです。しかし、これまでのアナウンサーは意見を持つことをさほど期待されていないし、発言する機会も与えられませんでした。外に出ている私から見ると、すごくもったいないと思います

 久保田さん自身が、環境を変えられなかったことを後悔していることもある。そのきっかけとなったのが、セクシャルハラスメントや性被害に声への共感・連帯を示す「#Me Too」ムーブメントだった。

「#Me Too」と戦時中の記者の悩みが重なる

久保田智子

元TBSアナウンサーの久保田智子さん

「私自身はパワハラやセクハラを感じたことはありませんでした。でも、『#Me Too』ムーブメントの高まりを受けて、改めて振り返ると、お尻を触られたどころではなかったこともありました。当時はその人のなりの挨拶の仕方くらいに思っていました。嫌ではなかったけど、もちろん嬉しいわけがありません。私が問題視しなかったことで、悩みを言えなかった後輩たちがいなかっただろうか。気づかないうちに抑え込むことになっていなかったか」

 一人では変えられなくても、みんなで塊になって変えていこうという「#Me Too」は、久保田さんに別の気づきも与えた。

「このムーブメントと戦時中の記者たちの悩みが重なるんですよね。私は現在、NHK広島放送局が行う戦争企画『#ひろしまタイムライン』に参加しています。『もし75年前にSNSがあったら』という仮定で、被爆者の日記を元に戦時中の広島の日常をツイッターで配信する取り組みで、私は複数のメンバーと共に元中国新聞記者の大佐古一郎さんのツイッターを担当しています。

 1945年当時の大佐古さんは大本営発表を書かざるを得ない状況にありました。その時にイチ記者としては無理でも、全ての報道機関が団結して、手遅れになる前に抗うことはできなかったのだろうかと考えさせられます。それは現在のメディアにも言えることかもしれません。果たして、国や政権に対してチームで対峙できるでしょうか」

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