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ネグレクトや貧困を乗り越えたベストセラー作家の秘話「自分の物語は自分が決める」

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与えられなかったからこそ、“強く”なれた

ガラスの城

© 2019 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

――私も働く母として、ジャネットさんのお母さんが自分の芸術を子供よりも優先した気持ちに共感できます。ジャネットさんが子供のころは、お母さんに対してどのような気持ちを抱いていたのでしょうか?

ジャネット:母にとって絵を描くことは子育てよりも大切でした。私には子供はいませんが、もしいたら、子供を優先していたと思うし、あんな子育ては絶対にしないでしょうね(笑)。

 幼いころは母のことを心から崇めていましたが、次第に、ほかのお家には冷蔵庫に食べ物がいっぱいあってお母さんが料理を作ってくれるのに、私の家には食べ物もなければ、お母さんの手料理もないことに気づき……(笑)。「ちゃんと“お母さん”の役目を果たしてよ!」と母に何度も言いました。でも彼女が変わることはなかったから、ありのままの母を受け入れるしかなかった(笑)。だから、私は家を出て自立することにしたんです。

 今思えば、彼女が欲しいものを与えてくれなかったからこそ、私は自立した強い人間になれたのかな。母性が欠落していた点を除けば、彼女は本当に素晴らしい人間だったんですよ! 優しくて楽しくて聡明で……彼女は一度も子供たちを否定したことがなかった。

 あと、ナオミ・ワッツは、もし母が男性だったら家庭を顧みないことをここまで非難されることはなかっただろうとも言っていました。

――問題をいろいろと抱えてはいましたが、お父さんは本当にチャーミングでロマンチックな方でしたよね。

ジャネット:確かに父はチャーミングで素晴らしい人間にもなれましたが、恐ろしいモンスターにもなれましたよ!(笑)。最近思うのは、彼がお酒をやめられなかったのは、躁うつ病から逃げるためだったんじゃないかと……。彼は、天文学から物理、シェークスピアから数学まで何でも知っている上に電気工事や大工までできる、ある種の天才。天才のなかには、躁うつ病の人が多いんです。

「この短い人生で、いつまで過去から逃げているの?」

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――お父さんが亡くなった後、ジャネットさんは「自分の居場所はここじゃない」と感じたそうですよね。それから離婚して、ゴシップコラムニストを辞めました。

ジャネット:父が死んだときは、NYのゴシップコラムニストとして働いていたんですが、そのときまで自分の過去を忘れたくてしょうがなかった。でも、父の死をきっかけに、「この短い人生で、いつまで過去から逃げているの?」と自問自答したんです。前夫のエリック(映画ではデヴィッド)は誠実で善い夫だったけれども、私の過去も両親も受け入れることができなかったし。そもそも、自分自身を受け入れられない私が本当に誰かを愛することができたでしょうか? 父が死んだときに、そのときの自分は本物じゃなかったことに気がついたんです。

――今、ヴァージニアの農場で暮らしているジャネットさんの写真を見ると、本当にナチュラルビューティーです。NYのゴシップコラムニストとして働いているときは、グラマラスでスタイリッシュで、まるで別人ですよね。

ジャネット:まあ、ありがとう!(笑)でもね、私の心のなかはいまでも不恰好なのけ者のティーンエイジャーのまま(笑)。ゴシップコラムニストとして働いていたときは、メイクやファッションで自分を武装して“演技”をしていたように思います。馬や鶏と一緒に農場で住む今の私が、本当の自分かな。

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