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SHIBUYA109リニューアルの仕掛け人が語る、苦難を乗り越えた“精神力”

暮らし

画家を諦めてアパレルの道に進むも…

――アートに興味を持たれたとのことですが、どのように仕事を選ばれたんですか?

五十嵐:最初は画家になりたくて、そういう高校に進みました。でも、そこで、好きなものを描けるのは楽しいけど、絵を1枚売って生きていくことの大変さを知ってしまって。それで、画家は諦めて、絵を描くことの次に好きだったアパレルを仕事にしたんです。

 最初はドレスの受注製作などをやっていて、自分のブランドを持って、ドレスや衣装を作って、兼任でスタイリストなどをしながら生きていました。ただ、その仕事から離れざるを得ない出来事が起きてしまいまして……家が全焼して、家財のほぼすべてを焼失してしまったんです。

――家財を焼失! どうされたんですか?

五十嵐:漏電で自分の部屋から出火してしまって……。しかも、その時も外見やLGBTであることを理由に、なぜか放火犯扱いされて、火災保険が出なかったんです。さすがに絶望しました。

 でもその時もやっぱり母が強くって。そんなことになったら普通、「帰ってこい」とかになるじゃないですか。でも、母は「そんなことになっちゃったなら、あんた、本気でがんばんないと」って。それで、なんとか絶望に飲まれずに済んだんです。

 その時、なんとか焼けずに残ったのがPCと財布で、スタイリスト道具は全部焼けてしまいました。そこで、PCを使ってイラストの仕事を受注するようになったんです。

フリーランスと就職という選択肢の中で

五十嵐LINDA渉

――そこで絵のお仕事もするようになったんですね。

五十嵐:すごく遠回りしたけど、結果やりたかったことを仕事にできるようになって嬉しかったです。それから、自分一人で生きていくことの難しさとかも知って、ずっとフリーでやってきたけど、今の会社(TWIN PLANET)に入ってアートディレクターとしてやらせてもらえるようになったんです。

――フリーランスから会社員になって苦労はありませんでしたか?

五十嵐:全くありませんでしたね。やっぱり何かに悩んだ時、一緒に考えてくれる仲間がいるのは大きいです。自分自身フリーランスから始めたけど、会社に入ってから独立したほうがよかったと思います。吸収できるものが、やっぱり多いですからね。

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