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「若いうちはテンポよく失敗したらいい」一発屋芸人・髭男爵が説く人生哲学

暮らし

 1月4日、お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世(43)がエッセイ本『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)を上梓した。

 前作『一発屋芸人列伝』(新潮社)では、山田さん自身と同じ“一発屋芸人”たちを取材してまとめ、「第24回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。その文才はすでに折紙つきだが、今作では山田さん個人のエピソードが披露されている。

髭男爵

髭男爵・山田ルイ53世

 ところで、なぜ山田さんは文筆業をはじめることになったのだろうか? 連載スタートのきっかけや“一発屋芸人”ならではの人生哲学など、山田さん本人に直接インタビューを行った。

放置状態のブログからスタートした“私怨の原液”

――そもそも山田さんが文章を書くことになったきっかけを教えてください。

山田ルイ53世(以下、山田):朝日新聞さんの取材で「受験生に向けて一言メッセージを」みたいなお仕事を受けたことですね。そのときに自分の引きこもり体験を話したら、「ちょっと書いてみませんか?」とお声がかかりまして。そこからWEB媒体で連載して出たのが『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)です。

――文章表現も巧みですが、文学青年というより映画や漫画といったサブカルチャーの影響を感じました。

山田:小っちゃいときに漫画を買(こ)うてもらえなかったから、図書館に行って日本の歴史や偉人伝の漫画本を借りてよく読んでたんです。小説や映画にしてもSFとかホラーが好きなので、そういう雰囲気からの影響はあるかもしれないですね。

――『ヒキコモリ漂流記』以降、順調に連載の依頼は来たのでしょうか?

山田:それが思ったより来なくて(笑)。どうしたらええねん!みたいな。でもせっかく本も出したし、一杯文章を書いたのでこの感じはちょっと維持しておきたいなと思って。で、しょうがないからアカウントだけ持ってて全く更新してなかった、休眠ブログに書きはじめたんです。

――これは自力でいくしかない、と。

山田:それを朝日新聞さんの『withnews』というメディアの編集長に見つけてもらって。4年ぐらい前から連載していたものをまとめたのが今回の本。「死んだ」「消えた」「面白くない」と言われ続けた一発屋としての僕の憤りが一番濃く出ている、いわば“私怨の原液”みたいな一冊です。

芸人の道は“リハビリ気分”ではじまった

髭男爵

流れに流れてガッて草をつかんだらお笑いだった

――お笑い芸人の道を歩みはじめたのはいつ頃ですか?

山田:大学に入ってしばらくした頃、バイト先で知り合った先輩に誘われて、ある女子短大の学園祭で漫才することになったのがきっかけです。その先輩の彼女が実行委員をしていたんですよ。僕は引きこもり明けで“リハビリ気分”だったんですが、これがめっちゃウケたんですよね。

――兵庫県のご出身で、お笑いの土壌もあったことが想像されます。

山田:ないとは思いませんけど、こんな芸人になりたいという明確なものは本当になくて。急流にのみ込まれて、流れに流れてガッて草をつかんだらお笑いだったという感じ(笑)。

――なるほど(笑)。お笑いしかないと追い込まれていた理由は?

山田:引きこもって学校をやめて、大学には潜り込んだけど、勉学の世界では履歴書ボロボロだったので。「なんとかすり替えないと!」と思ったんでしょうね。学生時代に知り合(お)うた人ともあわす顔がないし。

 あと履歴書に書くことがないから、ロクな就職はできないだろうなって恐怖もあった。先輩に誘われてたまたま出会ったのがお笑いだったので、「天下獲ろう」みたいな思いは一切なかったですね。

――とはいえ、山田さんの文才には称賛の声が集まっています。物書きに集中しようと思われたことは?

山田:それはおこがましいというか。本を何冊か出したから、「作家さんですね」みたいに言ってくれる人もいるんですけど、ハードル上がるでしょ?それは絶対勘弁だという(笑)。

――あくまでも芸人という立ち位置があるからだと。

山田:普段の僕はワイングラス片手にシルクハット被って漫才してるから、そういうセンスみたいな部分は一切褒められない。

「乾杯漫才」にはもちろん個人的なこだわりはありますが、世間的には「○○やないか~い!」と言う部分だけで見るでしょ(笑)。だから、本を面白いと言われたら“芸人のセンスを褒められた”って嬉しさはあります。

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