年商400億円「巨大魚屋チェーン」創業者に聞く、安さの秘密と苦節47年
新潟・関東圏で全22店舗を展開する巨大魚屋チェーン・角上魚類。郊外のロードサイドや、駅ビルを始めとしたテナントで大人気を博している魚屋さんですが、その人気の秘密は鮮度の良い魚を、安く、ダイナミックに店頭に並べ販売していること。
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スーパーマーケットや普通の魚屋さんでは見かけない豪快なラインナップとその支持の高さから、まさに「日本一の魚屋」と言っても過言ではないお店です。
前編では「なぜこれが実現できるのかが謎」として角上魚類の仕入れから店頭に並ぶまでのフローを紹介しましたが、後編の今回は、創業者で現会長の柳下浩三さんにその変遷とゆるぎないモットーについて話を聞きました(※取材は取材対象者と十分な距離を保ち、可能な限りの感染予防・対策のもとで実施しました)。
新潟中に魚を売り歩いた20代の柳下
――角上魚類は1974年創業。今年で47年目ですが、創業までどんな生活をおくっていたのでしょうか。
柳下浩三(以下、柳下):それまでの私は家業の魚の卸屋を手伝っていました。地元(新潟・寺泊)で獲れた魚を魚屋さんに買ってもらうために新潟中の魚屋さんを1軒、1軒めぐっていました。行商のような魚の卸屋です。
夏場はオート三輪車に乗って魚を売りに行くのでまだ良いのですが、冬場は雪が積もってオート三輪車が使えない。なので、魚を入れた大きなカゴを担いで電車に乗って新潟中の魚屋さんを回って売り歩いていました。20代の頃はこれがイヤで仕方がなかったです(笑)。
魚は臭いでしょう。電車の中には自分と同世代の学生、遊び盛りの若者もたくさん乗っています。その中で「魚臭い」原因が自分だと周囲に悟られるのがイヤでしたので、魚の入ったウマカゴをデッキに置き、移動中はそしらぬ顔で客室に乗り続ける。そして、ようやく目当ての駅に着いたらデッキのウマカゴを慌てて担いで降りる……そんなことをやっていました。
雪の中、門前払いされたことも
柳下:また、駅を降りても雪の降る中、34キロ歩いて各地の魚屋さんを巡らなければなりませんでした。
ようやくたどり着いた魚屋さんもいろいろで「こんなに良い魚をお持ちしました」と言っても、「今日は要らない」と門前払いされることもあれば、「こんな寒いのによく来てくれたな。中で休んでおしるこでも飲んでいってくれ」と優しく接してくれるところもありました。今となってはどれも懐かしい思い出ですけどね。
若い頃の私にはこういった経験があるものですから、以来どんなに大きな取引先の社長さんでも、あるいは従業員であっても「どちらが上でどちらが下でもない」対等な付き合いを心がけるようになりました。