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「このハゲー!」からキャラ変した豊田真由子氏、元秘書が語る意外な素顔

学び

 寝落ちした日の目覚ましは、つけたままのテレビから流れてくる聞き覚えのある叫び声だった。

直撃 インタビュー

画像はイメージです(以下同じ)

 新型コロナウイルス感染症の拡大とともに、テレビ番組のコメンテーターとして、的確な意見を述べる豊田真由子氏は、東大法学部を卒業後、厚生労働省、ハーバード大大学院を経て衆議院議員に当選を果たすも、2017年6月に秘書に対する暴言が発覚。その年行われた選挙に落選し、永田町を追われた人物だ。

 かつて、豊田真由子氏の秘書として、彼女の活動を支えたAさんは、スキャンダルが報道された日のことを、昨日のように振り返る。

テレビから聞き覚えのある声が…

「ニュースが流れる前日に、知らない番号から電話がかかってきたんですよ。『明日、週刊誌に記事が出るのはご存知ですか?』と言われて……。この時は、何のことかよくわからなかったんですけど、翌朝になってテレビから聞き覚えのある声が聞こえてきて、慌てて飛び起きました」(Aさん、以下同)

 ワイドショーなどで絶え間なく流された、豊田真由子議員(当時)のスキャンダルは、「この時は、すでに別の仕事をしていた」と言うAさんのもとにも、大きな影響を及ぼした。

「全然知らない人からの電話やSNSの申請が来て、とにかく『うっとうしいな』と思いながら過ごしていました。あまりに電話がたくさん鳴り響くので、痺れを切らして電話口の記者に聞いてみたことがあるんですよ。『ちなみに、私が話したらどうなりますか?』って。すると記者は、『あくまでご協力という形でお願いしています』と……」

 その答えを聞いたAさんは、静かに電話を切った。それ以来、事件のことは公で語っていない。かつての職場で起こった事件を、Aさんは冷静に分析する。

「人がいないから助けてほしい」

国会議事堂

「秘書の仕事は“信用商売”でもありますから。知った秘密を簡単にバラすような人は、どの事務所でも働けません。それなのに、テレビや雑誌でよく簡単にしゃべるなと思いました。きちんと仕事をしていた人なら、まずやらないと思うんですけどね……」

 Aさんが政治の世界に踏み入れたのは、「人がいないから助けてほしい」という先輩秘書の声がきっかけだ。

「最初は、週2、3回くらい事務所の仕事を手伝うという話だったんですけど、人が足りなかったこともあって、徐々にポジションが上がり、3か月くらいで秘書にさせていただきました。普通ならできない仕事もさせていただいたので、その辺りは本当に感謝しています」

 秘書だった当時は、「ハードな仕事だな」と思っていた一方、「秘書は概ねそんなものなのかな」とも思っていたAさん。いかに厳しい環境だったと気づいたのは、事務所を去った後だったそうです。

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