他人の意見を素直に聞けない「超二流」社員につけるクスリ
よく「人の話をちゃんと聞け」と注意されることがあると思います。
わかったようなわからないような指摘で、注意された側は「いや、聞いてます」と、何を指摘されているのかわからなかったり、あるいは確信犯的に「聞いても特に役にも立たないことだから聞き流してるんだけど……」と思ってしまうこともあります。
今回は、とりわけ社会人になりたての頃、他人の話をどういった姿勢で聞けばいいのかについて述べていきたいと思います。
他人の意見を聞くのは、背景を理解すること
これまで私は経営者として業績を一度も落としたことがないという結果を残しながら、さまざまな人間模様を目撃してきました。なかには、意識の高い若手ビジネスマンに人気の“ホリエモン”のような、一握りの天才というのも存在しました。一方で、私も含めた数多くは、能力的にはそんなに違いはない、ごく普通のサラリーマン(あるいは経営者)です。本連載では私が日々の経験を通じて得た教訓を、ごく普通な“超二流”の会社員に向けて伝えていきたいと思います。
そもそも人間は歳を取れば取るほど、どんどん他の人の意見を聞き入れることが苦手になっていきます。恐らく本能によるものなのでしょう。さらに個人差はあれど、自分が何か意見を持っているトピックに対して、異なる意見に触れた場合、大なり小なり拒絶反応を起こしてしまいます。
何か知らない情報が含まれていたとしても、単に自分が知らないだけでなく、納得がいくような点があったり、あるいは全く予想もしなくて興味深い点が含まれたりすることに気づけば、初めて受け入れ態勢を作っていきます。
しかし、たまに横から見ていても「そんなにムキになって否定しなくていいのに」というくらい、自分の考え方と違うことを言われると反論したりする人もいます。それほど人間は好奇心とプライドが織り交ざった感情の生き物です。他人の意見を聞くというのは、単に聞くだけではありません。背景にある考え方から理解して、自分の腹に落ちること、さらには今後の自分の糧にすること。それができて初めて聞いたことになります。
口に出すことで考え始める
会話の中で異なる意見が出てきた場合に、わたしがおすすめするのは、とりあえず返事してしまうことです。口癖をつくって言ってみるのが効果的ですが、それができなければ自分の中でつぶやくだけでもいいので、口にすることです。メディアを見たり読んでいるときに触れた場合には、独り言をつぶやくことです(少し恥ずかしいですが)。
具体的には「なるほど」「そうなんですね」「わかります」「一理ありますね」「わからないでもない」「自分でもそうするかもしれません」「1つの考え方ですね」など、要するに、相手の意見を受け入れるセリフです。一部、目上の人に対して使ってしまうと、上から目線の少し失礼なトーンが含まれてしまうセリフもありますので、相手に合わせなければなりません。
人間とは不思議なもので、口に出してしまうと追いかけて考えようとし始めます。「いったいどの要素が同意できるのか」「どうした経緯でそういう意見が出てくるようになったのか」などです。そうすると、どちらの意見が良いか悪いかではなく、相手の意見を部分的に認めるように考えていきます。
ひとつの物事を見たとしても、受け止め方は人それぞれです。個人の性格や成り立ちなどにも大きく影響されます。事実として、コップに水が半分入っている状態について「半分も入っているか」「半分しか入っていないか」は、どっちが良い悪いではなく、どうして楽観的、悲観的な表現になるのかの事情についてお互いにわかりあうことが大切です。
そうしたプロセスを経ないで白黒をつけたがってしまうと、他人の意見を聞いているようで聞かない状態も含めて、いわゆる「人の話を聞いていない状態」になっていきます。やがては自分では気づかない間に周りの人から見たら「話しかけづらい人」になっていき、情報も集まらなくなってきます。視野が狭くなり、思考の幅は狭まってきてしまい、交流する人の幅も狭くなっていきます。