“ジェネリック医薬品大手”が債務超過356億円で「上場廃止」に。崩壊の背景にあったもの
後発医薬品大手の「日医工」(富山市)が2023年春に上場廃止となります。日医工は2021年3月に、不適正な医薬品製造を行っていたとして業務停止命令が下されました。32日間の業務停止でしたが、品質評価に時間がかかり出荷再開が大幅に遅延。
2023年3月期第2四半期に548億円の巨額損失を計上して356億円余の債務超過に陥った日医工は、投資ファンド「ジェイ・ウィル・パートナーズ」の支援を受けて経営再建を目指します。日医工は厚生労働省に翻弄され続けた会社でした。ポイントは後発医薬品の普及推進と薬価の改定です。
1990年から業績が低迷していたが…
日医工は1965年7月に設立された日本医薬品工業が前身の会社。新薬開発に邁進していましたが、開発の難易度は高くヒットにも恵まれず、薬価改定の影響も受けて1990年ごろから業績が低迷。新薬開発から撤退します。それから後発医薬品事業へと乗り出しました。
一方、厚生労働省は後発医薬品の普及に向け、2007年に「後発医薬品の安心使用促進アクションプログラム」を策定しました。後発医薬品の数量シェアを2012年までに30%以上に引き上げるという具体的な目標を掲げます。これは、当時の数量の2倍に当たるものでした。
しかし、2012年9月の調査では22.8%に留まります。そこで、厚生労働省は2013年に「後発医薬品のさらなる使用促進のためのロードマップ」を策定しました。2018年3月末までに60%に引き上げるという意欲的な内容でした。
躍進のきっかけは、後発医薬品普及推進活動
このとき、処方箋の仕様を変更して後発医薬品の推進に努めるなど、具体的な対策が盛り込まれます。2020年9月時点での後発医薬品の使用割合(全国平均)は79.24%。見事、急速な勢いで普及しました。日医工はその波に乗ります。
2014年3月期の売上高は前期比10.3%増の1036億円。さらに2015年3月期は同22.6%増の1270億円と二桁増を続けます。なお、日医工は2022年に決算月を3月に変更しており、2012年3月期の見かけ上の売上高が著しく減少しています。2014年3月期以降はしばらく業績絶好調の時期が続きます。