『青天を衝け』はこれからが面白い。実は資本主義の父じゃない渋沢栄一の生涯
「資本主義の父」と言われているが…
渋沢は武士と商人が力を合わるためにコンパニー(=Company)という組織を立ち上げます。コンパニーは今でいうところの会社にあたる組織ですが、当時は会社という存在そのものがありません。
会社運営に必要な理念も広まっていません。そこで、渋沢は合本(がっぽん)という思想を説くのです。当時の武士と商人が、渋沢の説くコンパニーや合本といった考え方をどれほど理解できていたかは判断できません。
しかし、渋沢はわずかな期間で武士と商人の共同体制を築きました。これにより、静岡藩の財政は潤うのです。渋沢の手腕は明治新政府の耳にまで届くほどの大成功だったようです。
現代日本において、渋沢は「資本主義の父」と形容されます。渋沢は生涯で500社以上の企業の創業や経営に関わっています。そうした理由から資本主義の父と呼ばれるわけですが、実のところ渋沢本人は“資本主義”という言葉を好まず、自身では1回も使ったことがないと言われています。
資本主義と合本主義は何が違う?
渋沢が好んで用いたのは、前述の通り「合本」という言葉でした。『青天を衝け』の作中でも合本という言葉が出てきます。あまりクローズアップされてはいませんが、合本は渋沢の生き方を体現する言葉でもあります。
資本主義も合本主義も、言葉が違うだけで意味するところは同じではないか? そんな指摘もあるでしょう。しかし、資本主義と合本主義とは言葉が異なるだけではなく、立脚点がまったく異なっています。
資本主義は、言うまでもなく資本がメイン。ゆえに、資本を多く有する資本家を中心とする社会になります。資本家が中心になるので、金儲けが是とされ、金を生み出す仕組みが最優先にされます。そして資本主義は、「資本家が金で労働者を雇い、その労働力でさらに金を生み出すメカニズム」で、資本家の「もっとカネを稼ぎたい」という欲望が原動力です。
他方、合本主義は「公益を追求する」という理念から出発しています。公益を追求するという理念を実現するには、事業に適した人材とそれに見合う資本を集めなければなりません。人(=労働力)だけでは事業を達成することはできませんが、資本(=金)だけでも社会をよくできません。両者が力を合わせてこそ、社会がよくなるのです。それが合本主義ということなのです。