年商400億円「巨大魚屋チェーン」創業者に聞く、安さの秘密と苦節47年
年商400億円!昔ながらの魚屋で「日本一になりたい」
――以降、角上魚類は新潟・関東圏で22店舗のチェーンとなり、創業以来ずっと右肩上がりの売り上げが続き、現在の年商は400億円を超えます。これ以上、店舗を増やす予定はないのですか?
柳下:当初は1年に1店舗ずつ、丁寧にゆっくりと増やしてきました。既存の店から主要スタッフを5人ほど抜いて新規店をオープンさせる、ということをしていました。
しかし、既存の店から主要スタッフを抜くことで店の質が落ちてしまうことがありました。これはせっかく来ていただいているお客さんの期待を裏切ることになりますし、私が目指す魚屋ではなくなってしまいます。ですので、今はこれ以上店舗増やさないようにしています。
――ところで、角上魚類はなぜかロードサイドとか郊外にお店が多く、都心部などにはありません。どうしてなのでしょうか?
柳下:私は当初からスペースを広く取れる店を作って、できるだけ多くの魚を並べたいと考えていました。さらに魚をさばくために、大きなバックヤードも確保しなければならない。そうなると、都心部にはテナントがなく、仮にあったとしても賃料が高いからできないわけですね。賃料が高ければ当然魚の売価に跳ね返りますし、これでは本末転倒です。
結果的に広くスペースを確保できる郊外などに場所に店を作り、お客さんに満足していただけることを最優先に展開しています。確かに、魚の切り身をパックだけで売るのは楽なんですよ。ただ、それは私がやりたい魚屋とは違う。私は昔ながらの魚屋をやりたいのです。丸物(1尾ごと)の魚を並べて、お客さん個々に違う、ご要望通りに、その場でさばいてお渡ししたいんです。そういう「昔ながらの魚屋で日本一になりたい」と考えてここまで来ました。
ただ、私もそろそろ引退しますので、これから先は若いスタッフがどうしていくかはわかりませんが(笑)。
将来のことなど全く考えられなかった
――引退を考えているのですか?
柳下:角上魚類は私1人で会社をおこし、ワンマンでここまでやってきましたが、もう81歳ですからね(笑)。そろそろ引退しないと邪魔じゃないですか。今では各店の店長たちに「お前自身が社長なんだ」と伝えています。これからは新しい世代が、時代に合ったやり方で角上魚類をさらに変えていってほしいと思っています。
――『biz!SPAフレッシュ』は20代の方が読者ですが、若い世代に対しての思いはありますか?
柳下:私がまず20代の方を「羨ましい」と思うのはその若さと情報力ですね。冒頭で話した通り、私が20代だった頃はただ親父がやっていた魚の卸屋の手伝いをしていただけで、将来のことなど全く考えられませんでした。34歳で角上魚類を始め、ありがたいことに多くのお客さんに喜んでいただけるようになりましたが、今はインターネットをはじめ様々な情報があります。そういった情報を元に、若いうちから将来を想像できるのは羨ましいですよ。
ただ、情報だけに甘んずることなく仕事でもスポーツでも良いけれど、何かしら体を動かすほうが良いとも思います。確かに体を動かすことは辛いものですが、人間はなんらかの負担をあえて強いることで、知恵を得たり、精神力も増強されるようなことがあると思います。
また、先ほども言いましたが、普段仕事をしていると「これまでやってきたことが当たり前」「今日、調子良いのだから、これで良い」と思いがちです。しかし、これを読んでくださっているのが、今なんらかの仕事をされている方なのだとしたら今までのやり方、今日のやり方とは違うことも常に考えながら仕事をしてみると良いのではないでしょうか。
常に「新しいやり方」を考え続けることで新しいアイディアも生まれるでしょうし、これから先の将来においても大きく成長していくはずです。どうか自身の未来のためにも「新しいやり方」を考え続けていっていただきたいですね。
<取材・文・撮影/松田義人>
【柳下浩三】
角上魚類会長。1940年、新潟・寺泊生まれ。高校卒業後、家業の江戸時代から家業の網元兼魚の卸商の仕事を手伝った後、1974年に地元で角上魚類を創業。現在は新潟・関東圏で22店舗の直営チェーンを展開し、年商400億円オーバー。今なお自ら市場での仕入れを行っている