年商400億円「巨大魚屋チェーン」創業者に聞く、安さの秘密と苦節47年
「お客さんにもっと喜んでもらえる魚を!」
――開店当初からお客さんは来たのでしょうか。
柳下:大混みはしませんでしたが、それでもお客さんが途切れることはありませんでした。それから2日、3日と営業を続けるうちに、次から次へとお客さんに来ていただけるようになりました。お客さんは「安いわ!」と皆さん喜んでいかれる。
おそらくそういったお客さんが親戚やお友だちなどに、角上魚類の話をしてくださってそれが口コミ的に広がっていき、やがて遠方から魚を買いに来てくれるお客さんも増え始めました。
開業当初の1日の売り上げは8万円でした。5千万円も借金して1日の売り上げが8万円では割に合わないですが、何よりもお客さんが喜んで帰っていかれることが無性に嬉しかったです。「じゃあ明日はもっとお客さんに喜んでもらえるような魚を仕入れよう」「もっと安く提供できるようにしよう」と新潟市内の市場、地元の寺泊や出雲崎といった市場を駆けずり回り、少しでも良い魚を並べるようにしました。
それを繰り返しているうちに、浜の中の小さな魚屋なのに、黒山の人だかりができるようになりお客さんが増え続け、売り上げも年々2~3割増え続けたというのが開業当初のことでした。
群馬県では鮮魚が全く売れなかった…
――やがて新潟・寺泊だけでなく、まず群馬の高崎に角上魚類の支店を出すことになります。
柳下:新潟・寺泊の店は確かに年々お客さんが増え、売り上げも増えていったのですが、私には「どんな商売でも必ずピークがある」という不安が常にありました。
他方、その頃の新潟・寺泊の店には、関越自動車道が開通したおかげで、関東のお客さんにも大勢来ていただけていた。そこで、「お客さんを待つだけじゃなく、関越自動車道を使って関東まで魚を売りに行けば良いじゃないか」と思ったわけです。それでまず、群馬の高崎に角上魚類を出しました。ところが全く売れませんでした。
――どうしてでしょうか?
柳下:高崎の人はそれまで一匹ものの丸魚を身卸し調理をして、生で食べる習慣がなかった。干物とか冷凍の魚は売れるのですが、日常的に刺身を食べた機会がなく、誰も買ってくれないわけですね。
そのため、今度は対面でお客さんに「この魚は刺身にすると美味しいからぜひ生で食べてください」「この魚は煮て食べてください」「この魚は焼いて食べてください」と説明させていただくことにしました。これを繰り返していたうちに、新潟・寺泊と同じようにものすごくお客さんが集まる店になりました。