京大卒リーマンから『相棒』俳優に。山西惇の究極の選択「下北沢か、ハワイか」
下北沢か、ハワイか…究極の選択に
――それでもまだ石油化学関係のお仕事はやめなかった。
山西:僕、お芝居が大好きなんですよ。でも当時は、好きだからこそ、それを仕事にするのは違うような気もしていたんです。仕事となると、嫌なことや理不尽なことも飲み込まないといけないじゃないですか。演劇に関してはそれとは違う純粋な気持ちで続けていきたかったんでしょうね。
――ああ、わかる気がします。そんな忙しい日々の中、山西さんはある選択を迫られます。下北沢か、ハワイか。
山西:そんなこともありましたねえ(笑)。「そとばこまち」が初めて東京の本多劇場で公演を打つことになったんですが、その期間と勤務先のハワイ研修旅行が見事にバッティング(笑)。それでとうとう会社に退職願を出しました。体力的にもギリギリでしたし、このままでは会社と劇団の両方に迷惑をかけてしまうと思ったので。
東京進出で100泊101日の契約
――下北沢がハワイに勝った瞬間ですね(笑)。そこで、安定した仕事ではなく、超不安定な劇団を選んだ1番の理由はなんでしょう。
山西:ふたつのうち、どちらかひとつを選択しなくてはいけなくなった時に、どちらを失うほうがツラいかを考えたんです。やっぱり僕は、お芝居ができなくなるほうがキツかったし、そういう未来を歩む自分の姿を想像できませんでした。
――その後、活動の拠点を関西から東京に移されます。
山西:本格的に東京に住居を移す前は、都内のウィークリーマンションを借りて生活してました。野田秀樹さん演出の『キル』に呼んでいただいた時は、100泊101日の契約で、受付の人に二度見されましたよ(笑)。完全に東京住まいを始めたのは1998年頃かな。その時、ずっと好きで憧れていたいくつかの劇団への客演がババっと決まって、これは東京に引っ越さなければと。