元ヤクルト・川崎憲次郎が語る「野村と落合」名監督のリーダー像
オールスターのファン投票で…
1998年には最多勝利投手と沢村賞を獲得するなど、その後もヤクルトの中心選手として活躍した川崎さんは、2001年に中日ドラゴンズにFA移籍を果たす。だが、オープン戦で肩に違和感を訴えると、以降は「肩に激しい痛みがあって、まったく投げられない状態が続いた」という。
「治療、ランニング、ウエイトくらいしかできることがなくて……。痛みの原因がわからない中、出来ることを探す日々は本当に辛かったです。医師から手術を提案されたのですが、手術をすると復帰までに時間がかかってしまうので、ウエイトトレーニングで筋肉をつけて、肩を固めることにしました」
原因不明の肩の痛みに苦しんでいる最中、一部の心無いファンの行動がきっかけとなり、2003年のオールスターゲームのファン投票で、投手部門の1位に選出されてしまう。
「年俸に見合った働きができていなかったのは事実ですし、プロ選手である以上は、不満を言われるのは仕方ないと思いました。でもそんなことよりも一番好きだった、“投げる”ことができなくなってしまっていたのが、何よりも辛くて……。その無念さを噛み締めながら、もがき苦しんでいた日々でした」
落合監督に指名され開幕投手に
2004年シーズンからは落合博満監督が就任。「これを知っているのは、俺とお前だけだから」と前置きの上、開幕投手に指名された。
「怪我をしていたので、まずは身体が心配になるんですよね。直前で投げられなくなると、みんなに迷惑が掛かる。それが一番怖かったです」
「秘密」を抱えながら臨んだシーズン。川崎さんは、開幕が近づくにつれて、徐々に追い詰められていったそうだ。
「開幕が近づくと、投手陣のなかで『開幕投手は誰か?』という話になるんです。ちょうど開幕の1週間くらい前に投手陣が勢揃いすることがあって、それぞれの登板日を言いあっていく流れになりました。自分に話を振られた際には『まさか、あるわけないじゃないですか』とお茶を濁して、思わずトイレに駆け込みましたね(苦笑)」