元ヤクルト・川崎憲次郎が語る「野村と落合」名監督のリーダー像
“悔しい”感情しかなかったリーグ優勝
ルーキーイヤーに4勝を挙げた川崎さんも、1990年には12勝、1991年には14勝と勝ち星を伸ばし、勢いのあるチームの中心選手として活躍。しかし、足の捻挫によって、肘を悪化させてしまったという翌1992年は、登板ゼロ。だが皮肉にも、チームは14年ぶりのリーグ優勝を果たす。
「神宮球場のスタンドから試合を眺めていましたが、“悔しい”感情しかなかったですね。もちろん、優勝は嬉しいんですけど、『チームが優勝したのに、なぜグラウンドにいないんだろう?』とか、色々なことを考えましたね。だから、この時期の試合内容は、細かく覚えていないんですよ」
「痛みの再発だけが心配だった」と臨んだ1993年。先発ローテーションに復帰した川崎さんは、10勝を挙げて見事復活。カムバック賞も獲得した。
チームはセ・リーグ連覇を果たし、日本シリーズでは前年に惜しくも敗れた西武ライオンズと再び対戦。第4戦の先発を任され、「長年の夢」だった日本シリーズでの登板を果たした川崎さんは、シリーズ初勝利も手にした。
野村監督の期待に応え日本一に
この試合を終えて3勝1敗と、日本一に王手を懸けたヤクルトだったが、ライオンズの追い上げもあり、第7戦へと突入。勝負の行方は、「もう、投げることはないだろうと思っていた」という川崎さんの右腕に託されることとなった。
「まさか、自分に出番が回ってくるとは思っていませんでしたね。この年の2月にキャンプインした時、野村監督がホワイトボートに『日本一』と書いたんです。そのシーズンの最終戦に、チームの全責任を背負って投げるというプレッシャーは、相当なものがありました」
凄まじい緊張感の中、「勝ったらヒーローになれる」と気持ちを切り替え、見事勝利。チームに15年ぶりの日本一をもたらし、日本シリーズMVPにも輝いた。