元TBSアナウンサーが「戦争歴史の記録者」に。意外な転身のきっかけ
ニュース番組『NEWS23』『朝ズバッ!』などを担当し、報道記者としても勤務した元TBSアナウンサーの久保田智子さん(43)。自然体かつ安定感のある知的な伝え口が視聴者に親しまれていたが、2017年にTBSを退社した。
人気女子アナがフリーアナウンサーに転身することは、よくある話だ。しかし、彼女の場合は積極的にメディア出演することなく数年が経った。そして、現在は戦争体験者の記憶を後世に残す「オーラルヒストリー(口述歴史)の聞き手」として活動しているという。
華々しい世界を離れ、意外なセカンドキャリアを歩み出した背景に何があったのか。
久保田さんはNHK広島放送局にいた
7月中旬、彼女はNHK広島放送局にいた。フリーアナウンサーとしてではなく、広島にゆかりのある一市民として、同局が行う戦争企画「#ひろしまタイムライン」のグループワークに参加するためだ。
「『#ひろしまタイムライン』は、もし75年前にSNSがあったら? という仮定で、被爆者の日記を元に戦時中の広島の日常をツイッターで配信する取り組みです。私は元中国新聞記者の大佐古一郎さんのツイッターを複数のメンバーと共に担当しています。現在は戦争体験者の記憶を後世に残すオーラルヒストリーの聞き手として活動していて、広島市の被爆体験伝承者養成事業にも参加していたことがきっかけで、声を掛けてもらいました」
局アナ時代と変わらぬたたずまいの久保田さん。しかし、TBSを退社し、現在に至るまでにどんな心境の変化があったのか。
「TBSを退社したのは2017年ですが、有休消化などがあったので事実上は2016年3月で辞めています。きっかけは夫のニューヨーク転勤でした。当時38歳でしたが、TBSではやりたいことをやらせてもらいましたし、アナウンサーとしてもそつなくできていたと思います。でも、どこかで『自分ではなくてもいいのでは』『私は何の専門家なのかな』とも思っていました。一度、立ち止まって自分を見つめ直してみたいとも考えていたので、夫の転勤のタイミングで、すんなり辞めてしまいました」
無意識に「戦争の記憶」を避けていた
局アナ時代に悩んだ時は、思うままに文章を書いてみたり、ヨガインストラクターの資格を取得したりするなど「自分らしさ」を模索していたという久保田さん。
漠然ともう一度学び直したいという気持ちもあり、ニューヨークでは日米関係に詳しいコロンビア大学名誉教授のジェラルド・カーティス氏の研究室に在籍した。その頃、無意識に避けていたものに気が付いた。
「父が広島県呉市の出身で、私は横浜生まれですが、中高時代は広島で過ごしました。広島にゆかりはあるのですが、家族は被爆者ではありませんし、『広島の人間』として原爆や戦争のことを語る資格はないと思っていました。戦争は怖いものくらいしか特に意見もなかったんです。戦後70年の節目の時をはじめ、いつもテレビで『戦争の記憶と向き合うことは大切です』と自身の口で言っていたにも関わらず、全く向き合えていませんでした」
戦争の記憶を避けていた久保田さんだったが、国連があるニューヨークには沖縄戦の生存者や被爆者も多く訪問 し、戦争の悲惨さを訴えていた。「今向き合わなかったら、戦争を直接体験した人から話を聞けなくなってしまう」「何か手伝えることはないか」。遅まきながらニューヨークで考えが変わった。