「趣味ってなくちゃダメ?」女子大生の悩みを、関西弁ロシア人に聞く
楽しくて飽きないものが「趣味」
そもそも趣味とは何なのでしょうか。辞書で調べてみると「専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄」と書いてあります。趣味といえば、毎日必死に筋トレに取り組んだり、陶芸の技術を真剣に磨く、本格的なものをイメージしてしまいます。
でも、実際には専門にするほどのめり込むものではなくて、ある程度娯楽の一環として楽しめる、ゆるいものであってもいいのです。むしろ、それが苦行のようなものになった時点で趣味とは言えないのかもしれません。
僕の経験から分かったことが1つあります。それは、これまでいろいろ試して何度も挫折してきた趣味の多くは、“最初は”楽しかったということ。それは、初めてのことに触れる楽しみでした。
何の経験もなかった子供の頃は、どんな些細なことでも楽しかったはずです。初めて電車や消防車を見るだけで大興奮。小学生の頃、母に教えてもらって初めて目玉焼きを焼いた日のことは今でもよく覚えています。人は初めてのものに触れたり、体験することには、時間を忘れて楽しめる生き物。
一方で、同じ経験を何度も繰り返すとだんだんと楽しくなくなる、飽きっぽい生き物でもあります。そんな中でもごく稀に、どれだけ続けても飽きがこないものがあって、それが所謂その人にとっての「趣味」なのではないかと思うのです。
役に立つ趣味を無理に持たなくていい
映画鑑賞やゲームを馬鹿にする人もいるけど、映画鑑賞だってそんなに簡単ではありません。Netflixを契約して初日は「あ、これもある! これも面白い!」と物凄く楽しめるけど、だんだんといろんな作品を見重ねてるうちに、飽きてきます。ゲームだって買って最初は楽しいけど、キャラを強くしたり、続けたりしていくのは正直、楽しいという範疇を超えることが多い。そんなものをいつまでも楽しいと思い続けれらるのであれば、それは立派な趣味。
「ゲームなんかやってたって人生の時間を無駄にするだけだ、もっと役に立つ趣味を持つべきだ」という人もいます。確かにそうです。何の役にも立ちません。でも、専門ではない嗜みであるはずの趣味に、楽しい意外の見返りを求める必要があるのか疑問です。
そもそも、趣味は人生にとってどんな役割を持っているのでしょうか。
僕は趣味には「明日もこれのために頑張ろう」と思えるものであるという役割があると思っています。それのために、「明日も生きたい!」と思える、精神的なエナジードリンクみたいなもの。「明日もこれのために頑張ろう」と思えることが、映画鑑賞だろうと、ゲームだろうと、その役割を果たしてくれているのなら満足してもいいと思うのです。
きっとある程度年齢を重ねると、今は楽しめているゲームや映画鑑賞では物足りなくなってくるでしょう。趣味に悩むのは、身の回りに何も楽しいと思えるものがなくなってからでいいのではないでしょうか。