今こそ求められる“強い大関”の復活を。具体的な2つの提言
今年1月に引退した大阪府寝屋川市出身の大関・豪栄道(33)。今後は武隈親方として後進の指導に当たる。しかし、これが昨今の大関の低迷ぶりを象徴する出来事のひとつだという。『ハフポスト日本版』や『論座』で、相撲評論に定評のあるレイルウェイ・ライターの岸田法眼氏が語る(以下、岸田氏寄稿)。
大関・豪栄道の見事な引き際
大相撲の看板は横綱、大関という上位力士。屋台骨を支えるシンボルであり、ほかの力士や相撲を志す人にとって、“あこがれの存在”であろう。しかし、2010年代は“強い大関”が影をひそめてしまったほか、“関脇の延長”に成り下がってしまった感がある。2020年代の大相撲は“強い大関”の復権が強く求められる。
今場所(2020年初場所)後、大阪府寝屋川市出身の大関・豪栄道が引退し、年寄武隈を襲名した。先場所(2019年九州場所)、全治8週間の重傷を負い、途中休場を余儀なくされた。休場は負けの扱いになるため、2敗13休の負け越しで終え、今場所は9回目のカド番(本場所で負け越すと、その地位から陥落すること)を迎えたが、万全の状態とはほど遠かったようだ。
結果、12日目に8敗を喫した時点で大関陥落が決まり、その後も1勝2敗と振るわず、5勝10敗で取り終えた。しかも、千秋楽は大関同士の対戦が組まれない不運に見舞われた。
来場所(2020年春場所)は関脇で10勝あげれば大関に復帰できる。加えて、御当所の大阪で開催されるので、“ファンの大声援を力に変えて再起を懸ける”と思う人も多かっただろう。引退は残念だが、皆勤負け越しながら、大関という地位に見合う見事な引き際といえよう。
江戸時代は最高位だった大関
江戸時代、大関は番付最高位で横綱は称号、尊称と位置づけられていた。いわば、“「横綱」の称号、尊称を受けた大関”である。
横綱が“「番付最高峰」という名の階級”に変わったのは、1890年夏場所から。大関は番付面におけるナンバー2になり、現在に至る。また、1887年に大関降下規定が明文化され、2場所連続で負け越したら関脇に陥落する。現在の規定では陥落した翌場所に10勝以上あげると、大関に復帰できる。
ようは明治時代から、大関は常に優勝争いをする立場ながら、“神格的存在”ではなくなったのだ。