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30歳で“ミリオン作家”になった男が語る、その後「YouTubeに完全シフトした」

ビジネス

 2000年代から始まったビジネス書ブームを覚えているだろうか? 当時、勝間和代氏や神田昌典氏、本田健氏、レバレッジシリーズの本田直之氏といった時代の寵児たちがビジネス書を多数出版し、次々とベストセラーが誕生した

山田真哉

ベストセラー作家で現役公認会計士の山田真哉氏

 あれから10年あまり、当時のビジネス書作家たちは何をしているのか?『成功本50冊「勝ち抜け」案内』(2008年、光文社刊)でデビューし、最新刊『富豪作家 貧乏作家』まで累計30冊以上のヒット作を生み出したビジネス書作家でもあり出版コンサルタントの水野俊哉氏が、一世を風靡したビジネス書作家の今に迫る。

 今回は、2005年に30歳の若さで『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社)が165万部を突破し、その爽やか系のビジュアルと現役公認会計士であることも話題になった山田真哉氏に話を聞いた。

本を出すのは大学時代からの夢だった

水野俊哉(以下、水野):『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』をはじめ、『女子大生会計士の事件簿』シリーズなど多数のヒット作を持つ山田さんですが、もともと本を出そうと思っていたんですか?

山田真哉(以下、山田):はい。大学時代から予備校講師をずっとやっていて、当時の予備校講師のステータスは本を出すことだったんです。だから僕も、予備校講師として本を出すのが夢でした。ただ、予備校講師自体を途中で辞めてしまったのでその夢は叶えられず……。でもどこかで出そうというのはずっとあって、公認会計士になって2年目に本を出すことを決意しました。

水野:最初に本を出す時からミリオンを狙っていたんですか? 本を売るということに関しては、山田さんもかなり研究や行動をされていたのではないですか?

最初の本は自費出版だった

山田真哉

山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書)

山田:ミリオンセラーなんて考えてませんでした。もともと最初の本が自費出版だったので、自分で売り込まなければなりませんでした。本屋への売り込み方を出版社の人に聞いて、注文票を持って行き、記入してもらって番線(書店の認識コードが書かれた印鑑)を押してもらった後に出版社に送るっていうことを、いろいろな書店に回ってやっていました。

 当時は担当編集者なしで著者が1人で本屋に直接行くというのがとても珍しい時代だったので、著者営業のはしりだったと思います。

水野:それは仕事の合間に行っていたのですか?

山田:はい。出張も多かったので、その合間に出張先の本屋さんに行っていました。都内はだいたい回ったので、おそらく全国で100店舗くらい回っているはずですね。僕が契約した自費出版の場合は売れた分だけ印税がもらえるような契約だったので、売るしかない状況でした。当時26歳で自費出版170万円は大きい額なので、それを少しでも取り戻すためにやっていた感じですね。

富豪作家 貧乏作家

富豪作家 貧乏作家

富豪作家と貧乏作家。あなたはどちらを目指しますか?13年間、作家・プロデューサーとしてビジネス書業界で活躍してきた著者が、富豪作家になる方法を教えます

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