“ポスト古田”と言われた元野球選手が、球場で飲食店経営「挑戦しないことが一番良くない」
プロ野球・埼玉西武ライオンズの本拠地であるメットライフドームの一画に2021年3月にオープンした「BACKYARD BUTCHERS」は元プロ野球選手の米野智人さん(39・@tomohitoyoneno)がオーナーを務めている。動物性食材を一切使用しない“ヘルシージャンクなヴィーガン料理”を謳う同店。大豆ミートを使用したメニューとポテトは、ボリュームがありながらもサッパリとした味わいが印象的だ。
3球団に在籍した米野さんに、今回のインタビューでは、「細く長い選手生活」を振り返ってもらいつつ、飲食店を始めたきっかけを聞いた。
「ポスト古田」の重圧に苦しむ
ドラフト3位で指名されたヤクルトスワローズ(当時)に2000年入団。2年目の2001年にプロ初出場を果たすと、2002年にはプロ初安打や本塁打を記録。サヨナラヒットを放つなどチームの勝利に貢献する。
注目を集めたのは、古田敦也選手がプレイングマネージャ―に就任した2006年のことだった。「ポスト古田」として期待を一身に背負ったこの年は、正捕手として116試合に出場。だが、米野さん自身は、当時を「キツいことが多かった」と振り返る。米野さんを苦しめたのは、さまざまな指摘が相次いだという「リード」だ。
「球種のサインを出す『配球』と違って、『リード』はサインの意図をピッチャーに伝えること。多くの失敗を乗り越えないと良くならないので、本当に難しいんです。結果論で言われてしまうことも多いですから……。1点取られただけで慌てたり、『負けたのは全部俺の責任だ』と塞ぎ込んでしまうこともありました」
好機を活かしきれなかった
一時は掴んだレギュラーを、翌年奪われる格好となり、わずか32試合の出場に終わった米野さん。「育ててもらった」というヤクルトへの感謝の想いを語る一方で、「自分の実力と冷静さが足りなかった」と、好機を活かしきれなかった理由を分析する。
「プロ野球は甘い世界ではないので、チャンスは1回、あっても2回。実績を残す選手は、限られた機会にきちんと数字を残した人たちばかりです。レギュラーとして起用された時に、僕は思うような結果が残せなかった。それに尽きると思います」
その後は、徐々に出番が減少。「そろそろヤバイかなと思っていた」という2010年のシーズン途中に転機が訪れる。埼玉西武ライオンズへの突然のトレードを言い渡されたのだ。
「2軍でプレーした時に、『すぐクラブハウスに来るように』と言われたんです。その時は何となく勘づいて……」