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野村克也氏と最後に対談した江本孟紀氏「100歳まではいくと思っていました」

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 2020年2月11日に野球界の名伯楽・野村克也氏が鬼籍に入った。その野村氏最後の著書となったのが、江本孟紀氏との共著『超一流 プロ野球大論』(徳間書店)だ。江本氏との対談形式で、野村氏が昨今のプロ野球界を縦横無尽に語りつくす内容で、図らずしも野村氏の球界への「遺言」となってしまった。

江本孟紀氏

 球界に野村氏の愛弟子は数多いるが、監督兼選手だった南海ホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)時代にバッテリーを組んだ江本氏は特別な存在だった。その最後の肉声を聞いた江本氏に野村監督への思い、超一流の条件を聞いた。

野村さんとは家族のような感覚だった

――くしくも野村さんの最後の対談相手となってしまいました。江本さんにとって、野村さんはどんな存在でしたか。

江本孟紀(以下、江本):昨年(2019年)対談させていただいた時は、お元気だったので残念でなりません。東映フライヤーズ(現:北海道日本ハムファイターズ)から南海ホークスにトレードで移籍し、監督兼選手だった野村さんと出会ったのが24歳の時。それから半世紀近く経ちました。長い付き合いなので、もはや家族のような感覚でした。

 皆さんが抱く野村さんのイメージは「監督」だと思いますが、僕の中では「選手」なんですよね。南海時代の野村さんは監督で、4番打者で、キャッチャーというものすごい人でした。関係が複雑なのですが、上司でもあるけど、仲間でもあるんです。だから、やっぱり僕の球を受けてくれるキャッチャーなんですよ。「戦友」と言うのが一番近いかもしれません。

 野村さんも僕に対しては、他の人とは異なる感覚を抱いていたと思います。野村さんは偉大な人なので、みんな簡単には馴れ馴れしく接することができなかった。でも、僕はバッテリーを組んでいた戦友でもありますから、全然問題ないわけです。だから近寄りやすかったですし、そばに行くと本人もすごくうれしそうにしていましたね。

 野村さんのことを「師匠」だと言うから、僕も仕方なく「弟子」を名乗ってあげていましたけど(笑)。近親憎悪みたいなもので、気兼ねなくボロ糞に言い合える不思議な間柄でした。

超一流 プロ野球大論

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