自分自身がスマホに飲み込まれ、アプリになる気がした……ふかわりょうが実践した「スマホを持たない旅」
気軽には撮れないフイルム式の「使い捨てカメラ」で撮影
ところでふかわさんは、今回の旅ではたまたま使わず持っていた「使い捨てカメラ」を持参していったという。「使い捨てカメラ」とは、フイルム式のカメラで、おおむね24〜36カットなどの規定の枚数に限っての撮影が可能なもの。撮り終えた後は、カメラごと現像サービスを行う店に渡すのだが、1本現像やプリント、データ化には数千円かかる。スマホのようにかなりの枚数を自由に撮れるわけではないため、「この写真を撮る!」という緊張感が今よりも格段に高いものだ。
岐阜県美濃地方の「スマホなし旅」で、ふかわさんが撮影した写真も本書には複数収録されているが、いずれもその緊張感と、その場の空気が写真に写り込んでいる。岐阜県美濃地方という、観光メッカとは言えないエリアをあえて訪れたふかわさんだが、そこで見た景色が逆に新鮮で、その名は広く知られていなくとも、豊かな時間が流れていることを見事に写真で表している。
現地のおじさんたちは「アルゴリズムの外にある」
ふかわさんは旅を重ねるうちに、ネット検索ではなかなかヒットされない地元ならではの慣習、地元の名産、地元で愛される小さな名物をいくつも体験していった。また、場当たり的に出会った地元のおじさんとのコミュニケーションから、はっきりはわからない方言や言い方の違いを生で感じとっていった。
ふかわさんは本書の中で地元のおじさんたちとの触れ合いを、「アルゴリズムの外にある、おじゴリズム」と表現しているが、こういったアナログのコミュニケーションを体験するにあたっては、スマホはむしろないほうが良く、そしてスマホでは絶対に得られないものであることを読者に暗に伝えているように感じた。