“ゴマキの弟”後藤祐樹が明かす、更生を支えた家族の存在「服役中に母の死を聞かされた」
若いころは「スリルと楽しさしかなかった」
――1986年7月10日、4人姉弟の末っ子として生まれた後藤さん。小学6年生の頃に経験したお父さんの“死”を境に、小学生時代にグレはじめました。「ワル」に身を投じていた10代から20代前半、当時は何が生きがいだったのでしょうか?
後藤:スリルと楽しさしかなかったです。当時は、どこか「悪いことをしている自分がかっこいい」と錯覚していたんだと思います。いったん「ワル」に染まると悪さがエスカレートしていきますし、周囲にも悪い人間が集まってくるんですよ。より過激さを求めて、ハラハラする気持ちにどんどん陶酔する感覚もありました。
もちろん、逮捕されたら「ヤバい」とは思っていましたけど、逮捕と悪事の間にあるスリルを味わいたくて、すき間を狙って「いかに悪事を働くか」を常に考えていました。
悪友との繋がりをみずから断った
――先輩や後輩の“悪友”も周囲にはたくさんいたそうですが、現在も交流はあるのでしょうか?
後藤:いえ、交流はありません。刑務所を出所してすぐは連絡を取っていましたが、銅線の窃盗事件で同時期に刑務所へ服役した仲間が何も変わっていなかったことにうんざりしたんです。かつての仲間からは出所後も「オレオレ詐欺で使う他人名義の通帳を手に入れられるか?」「覚せい剤や大麻が手に入らないか?」と連絡は来ていましたが、「こいつらとつるんでいたらまた悪事に手を染めてしまう」と思ったので「一切連絡しないでくれ」と伝えて、電話番号も変えて縁を切りました。
――旧友とズブズブな関係が続いてしまう方もいると思いますが、後藤さん自身はなぜスッパリ関係を切れたと思いますか?
後藤:家族の存在が大きかったです。僕自身、刑務所の服役中に“母の死”を聞かされて後悔も残りましたが、それでも支えてくれたのが3人の姉だったんです。過去のように悪事を働き続けて、逮捕されるような悲しい思いを絶対にさせられないという気持ちが強かったので関係性を断つこともできましたし、更生できたと思っています。