新大河ドラマの主人公「紫式部」の代表作『源氏物語』の意外な真実
ひらがなやカタカナといった文字から『源氏物語』『枕草子』などの女流文学まで、さまざまな日本独特の文化が生まれた平安時代。最近も2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』で吉高由里子さんが紫式部を演じることが話題になった。
なぜ、「日本らしい文化」と呼ばれる国風文化が、この時代に生まれたのか。東京大学史料編纂所教授である本郷和人氏に、文化が生まれた背景を解説してもらった。以下は、本郷和人著『東大教授がおしえる シン・日本史』の一部を編集したものです。
遣唐使の廃止から生まれた日本の文化
平安時代より前の日本では、聖徳太子の時代から、お隣の国・中国から、たくさんのことを学んできました。
一歩間違えれば船が難破して死んでしまうリスクがありながらも「先進国の文化や知恵に触れたい」と考え、危険を冒しながらも、遣隋使や遣唐使として海を渡るエリートたちが大勢いたからです。海を渡った彼らは、律令制や国の制度に加えて、宗教、美術といった文化を持ち帰り、日本に取り入れました。
しかし、平安時代を過ぎると、これまではお手本だった中国(唐)の国内の事情が悪化。「中国から新たに学ぶことはないのではないか」と感じた日本が、遣唐使を廃止したのは、みなさんもご存じの通りです。
ひらがなとカタカナという発明
これまでは、中国から入ってくる最先端のカルチャーを取り入れてきた日本ですが、中国とのおつきあいをやめたことで、日本独自の文化を開花させていきました。それが、国風文化です。
国風文化において、一番エポックメイキングな出来事といえば、ひらがなとカタカナの発明です。それまでの日本人は、中国からの輸入品である漢字だけを使っていましたが、平安時代に、現在の私たちも使っているひらがやなカタカナが新たに加わりました。
また、貴族たちの間では、政治よりもカルチャーに重きが置かれたため、これまで以上に女性の活躍が目立つようになります。それも、国風文化の大きな特長です。外国から受ける刺激はなくなったものの、その分、文化に対する感性を日本内部に向けられたため、平安時代は日本ならではのオリジナリティある文化が、続々と誕生した時代になりました。