「怖い人」と「やばい人」はどう違うのか?社会にもっと怖い人が必要であるワケ
昔は怖いおじさんが地域に1人はいた
僕は、周囲の人たちにとって、一番嫌われたくない人になりたい。だからこそはっきりとダメなところを指摘する。先輩だろうと後輩だろうと、親しい仲間だろうと、なあなあでコトを済ませない強さを持ちたいと思っている。昔はそういう怖いおじさんや先輩が地域に一人はいたものだ。ダメな親の代わりに叱ってくれるようなおせっかいなおじさんやおばさん。最近はなかなか見かけなくなった。
大人がズルくなったからだろう。子どもたちや後輩、部下に嫌われたくないという自己保身から言うべきことを言わず、放っておく。人のことを本当に思うなら、言いにくいこともはっきりいうのが大人というものではないか。だが、ただ叱ればいいと言っているわけではない。
応援団にはもう一つの流儀がある。それは、嫌いな相手も応援する、ということだ。好きか嫌いかは関係がない。人間は誰しも応援されるべき存在なのだ。それが応援というものの本質だと僕は考えている。
僕たちは卑怯なヤツらを叱るが、同時に応援もする。
<TEXT/青空応援団初代団長 平了>