大塚家具、“お家騒動”だけじゃない失敗の本質。ヤマダの子会社になるまで
久美子氏の中期経営計画は歓迎されていた
2015年1月28日の取締役会で久美子氏の社長復帰と、勝久氏の会長専任を決定しました。その翌日に勝久氏が自身を含む取締役の選任を求める株主提案をしますが、2月13日の取締役会でこの提案に反対する決議を可決。
久美子氏は反転攻勢に出て、勝久氏を含まない取締役を選任する会社提案を提出します。3月27日に開かれた株主総会で、勝久氏の退任が決定するのです。
この騒動の真っ只中だった2015年2月に、大塚家具は中期経営計画を発表しました。この計画は大塚家具の方向性を決めるものであり、株主がその内容に賛同するかどうかが問われました。結果として、久美子氏が先頭に立って練り上げた計画は、株主から歓迎されたわけです。
大塚家具が狙った中価格帯のポジション
その計画はシンプルでした。会員に対してハイクラスの家具を販売する従来のビジネスモデルから、中価格帯のポジションへと転換を図るというものでした。中価格帯の家具ショップには「ACTUS(アクタス)」のようなファンに支えられているブランドもあります。しかし、ニトリやIKEAのような知名度のあるブランドまでには育っていません。
そのため、本来中価格帯で家具を買いたい消費者は、目当てのショップがないために(仕方なく)低価格のニトリやIKEAに行っていると読みました。いわば、中価格帯の家具市場は空白地帯になっていると考えたのです。
同時にホテルなどに家具を売り込むBtoB営業部門を強化するとしました。これは当時、インバウンド需要に支えられて宿泊需要は旺盛であり、ホテルの建設ラッシュが進んでいたことが背景にあります。
しかも、BtoCとBtoBを組み合わせることによって繁忙期と閑散期の差をなくし、収益を安定させる狙いがありました。この計画は極めて合理的なものに見えました。