藤原竜也はクズな役がなぜハマるのか?映画『鳩の撃退法』でもわかる、その理由
日本一のクズな役が似合う俳優である
2017年の『22年目の告白 -私が殺人犯です-』では、藤原竜也は時効を迎えた殺人の犯人だと名乗り出て、派手なパフォーマンスで世間を騒がせる役に扮した。とにかくありとあらゆる方面に向けて「挑発」をし続けるようなキャラクターであり、世間から猛反発を受けるのも当然な嫌悪感を覚える一方で、そのルックスのために一部で人気を得てしまうことにも説得力を持たせていた。その後にネタバレ厳禁のツイストの効いた展開も待ち受けているのだが、藤原竜也はその真相が公になったからこその複雑な心理も見事に表現していた。
その他でも、2018年の『億男』では出番は少ないものの「金にものを言わせる」カルト宗教の教祖のようなイヤな金持ち役になっていたり、2019年の『Diner ダイナー』では「俺は~ここの~王だ!」という予告編でも聞けるセリフが『カイジ』から延々と続くオーバーアクトな役柄のセルフパロディのように思えたりもするなど、やっぱり「クズな役が似合う俳優」として重宝され、その期待に見事に応えている。
山田孝之、高嶋政伸、香川照之、窪塚洋介、森山未來、池松壮亮、松坂桃李など、クズな役を見事に演じられる実力派の俳優は他にもいる。だが、そのクズな役が本人が得意とする役のイメージとして、ここまで「定着」をしているのは、やはり藤原竜也しかいないのではないか。
何より、もともとの人間としての魅力があるからこそ、往々にしてクズな役でも「見逃せない」オーラを放っているし、『藁の楯』ではその言動との醜悪さのギャップが良い意味でキツい見事なクズな役となっていた。やはり、日本一のクズな役が似合う俳優であると断言していい。
良い意味で「翻弄される」ミステリー
さて、そんな藤原竜也が主演を務めた最新作『鳩の撃退法』だが、映画本編の魅力は説明がものすごく難しい。何しろ「えっ? これどういう話?」と観客が思うことも当然だと見越したかのような、「話がどこに進むのかがわからない」ことにも面白さがあるミステリーだったのだから。そもそもの『鳩の撃退法』という、観る前は全く意味がわからないタイトルも、その「困惑」こそがメインにあるのだと示しているかのようだ。
簡単にあらすじを紹介すると、かつて直木賞を受賞した小説家の新作を担当編集者が読み(本人から聞き)始めるが、その内容がどうしてもフィクションとは思えない、本当にあった出来事ではないかと疑惑を持ち始める、というものだ。その前提から、藤原竜也演じる天才作家が「小説の内容を話しているのか」「そもそも本当のことを言っているのか」「そもそもどういうことを話しているのか」と、聞いている編集者も観客も翻弄されていく。
それでも話の先が気になってしまうのは、「劇中の登場人物がなぜその言動をしたのか」「その『物』がなぜここにあるのか」といった種々の疑問が湧いてきて、話が進むにつれてそれらの答えがじわじわと明かされていくからだ。時系列を前後させながらも、ある意味で「入れ子構造」的にこんがらがった事象を解き明かしていく過程は、なるほど映像化が難しいどころか「不可能」とまで言われたことも納得の、込み入ったものだった。
それでも混乱せずに観られるのは、編集や演出が統制されていることと、クセのある個性豊かな登場人物のおかげだろう。観客と心境がほぼ一致する編集者役の土屋太鳳、マジメな夫役の風間俊介、ぶっきらぼうだが親しみやすくもあるカフェ店員の西野七瀬、得体の知れない怖さがある豊川悦司と、豪華キャストもそれぞれハマり役。佐津川愛美、岩松了、濱田岳、ミッキー・カーチス、リリー・フランキーなどの脇役にもインパクトがあり、誰もが「すぐに覚えられる」魅力があるからこそ、群像劇として混乱することなく観ることができるだろう。
そして、この序盤こそさっぱり意味のわからない(主人公が語る)物語は、いつしか「フィクションとは何か」「なぜ人はフィクションを必要とするのか」「現実との違いとは何か」という、大きな問いをも投げかける内容へとなっていく。特殊な構成であり作劇のミステリーが、「まさかこんなところに行き着くとは…!」という驚きも含めて面白い内容だったのだ。