「ザ・プラン9」リーダー元相方が語る、個性的な同期に囲まれた青春時代
理想と現実の間でコンビ解散を決意
――そういうふうに活躍をされていた中で、とうとう2000年にコンビを解散されています。これは、久馬さんのほうから「メンバーを増やしたい」と相談されたことがきっかけなのですか?
後藤:えぇ。なんばグランド花月の1回目と2回目の舞台の休憩中にそんな相談をされたんですよ。それを言われるっていうことは、「あぁ、ぼく1人では、もうあかんねや」って思ったんで、「じゃあ1回、シェイクダウンは解散しよう」って言って。ぼく以外の誰かの手に、これから加入する芸人に久馬君を託そうと。
――久馬さんはその判断をすぐに受け入れてくださったのですか?
後藤:10年近くコンビをやってきて、共通の思いとして「もう一歩、次のステージに行けてない」という思いを互いに持っていたんですよね。今から思えば、2丁目劇場から出発して、なんばグランド花月の出番をもらえているワケですから、地道にネタを続けていけば、コンビとして夢だったトリの出番をとるような漫才師になっていたかもしれないんですけど……。
――どこでもう一歩、次のステージに行けてないと感じられたのですか?
後藤:象徴的な出来事で言うと、ある時に営業で漫才をしたらめちゃくちゃスベったんですよ。当時は、漫才に自信を持っていたしネタも良かった。なのに、ウケなかったんです。しかも、一緒に出演した後輩のシャンプーハットはドカーンってウケたんですよ。
これまでね、失礼な話、後輩のことをライバルとかそういう目じゃなくて、「君らなんかに負けへん」っていう余裕みたいなものがあったんですよ。それなのに、同じ客の前で明暗が分かれたワケですから、気持ち的にしんどい部分もあったんです。
<取材・文/橋本未来 撮影/大森泉>
【後藤秀樹】
1972年、大阪府高槻市出身。1991年に同期のお〜い!久馬とコンビ「シェイクダウン」を結成。2000年に解散し、その後はピン芸人として活躍。2014年に芸能界を引退し、現在はひらかたパークに勤務。
Twitter:@hideki19720121