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「ザ・プラン9」リーダー元相方が語る、個性的な同期に囲まれた青春時代

暮らし

2丁目劇場で過ごした青春の日々

後藤秀樹さん

――当時、お二人のホームグランドだった2丁目劇場で活躍していた芸人さんの話を聞くと、かなり無茶なことをやっていたそうですね。漫才コンビのティーアップの前田さんが、原付きバイクで舞台を横切ったり……。

後藤:そんなんもありましたね! 正月になるとお酒飲んで舞台にあがったりね。あと、ジャリズムの渡辺君が、どういうわけか舞台セットの高いところに立ってたんで、みんなで「そこから飛び降りる勇気ないやろ!」って煽ったら、ほんまに飛び降りて、足折ったり(笑)。

――本当にめちゃくちゃですね(笑)。その中で、最初に世の中に出たのは、水玉れっぷう隊だったと思うのですが、印象はどうでしょうか?

後藤:色々、漫才の賞レースでも勝ち抜いてましたよね。僕がよく覚えているのは、2丁目劇場の支配人にめちゃくちゃ気に入られていたことですかね(笑)。

――ネタの印象ではないんですね(笑)。それは、どういう理由ですか。

後藤:彼らは、芸人になる前に「アランドロン」っていう大阪で有名なショーパブでダンサーをしてまして、デビュー当時からファンがおったんですよ。

 だから、水玉が出番ってなると、客席にキレイなお姉さんたちがズラッと並びまして、いつもの雰囲気と変わるんです。支配人の立場を考えれば、お客さんを連れて来てくれるから好きになりますよね? だから、好かれたんちゃうかなと(笑)。

――とてもわかります(笑)。じゃあ、当時は嫉妬も多少は……。

後藤:まだ20歳そこそこですから、正直ありましたね。2人とも性格は良いし、男前やし、客にウケてるしで、妬み嫉みの対象でしたよ(笑)。ぼくらは、人気もカネも無いしね。

――デビュー当時は、かなり鬱屈した時代だったんですね。

作り込んだネタで勝負しようと決めた理由

――ネタは、久馬さんが考えていたのですか?

後藤:いえいえ。最初は、2人で考えていたんですが、途中から久馬君が考えてきたネタを、ぼくが「やる」「やらない」を決めるスタイルでした。今思うと、なんか偉そうな感じがしますね(笑)。

――相方が書いてきたネタを審査するワケですからね。

後藤:えぇ。ツッコミの部分だけ空欄になっていて、ぼくが自由に考えてツッコミをする感じでしたね。

――シェイクダウンの漫才と言えば、今のザ・プラン9にも通じるような緻密に作り込まれたネタが特徴だったと思います。当時はもっとラフに漫才やコントをしていた芸人さんが主流だったと思うのですが。

後藤:結局ね、ぼくらは2人とも瞬発力を求められる現場が苦手だったんですよ。トークはもちろんですけど、ゲームコーナーなんかもそう。だから、ラジオ番組を担当した時は、オープニングトークの台本を事前に用意していたぐらいですから。だから、ネタで勝負しようと。

 久馬君は作家としての力は当時からすごかったので、時間ギリギリまでネタを作り込んで勝負すれば、他の芸人に負けないだろうっていう。

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