かまいたち山内、“コンビ結成前夜”を振り返る「初めての相方はハーフ芸人」
自分のへの評価に納得いかない日々
こんな感じで自分への評価に納得のいかない日々が続いた。このもどかしさを共有できる友達がいればよかったが、周りには面白いと思えないヤツらばかり。
「僕はこいつらとは違うんだ」と思っている僕は、すべての不満と不安を1人で抱え込んでいた。でも、あの数式(面白いと思えるヤツがいない=僕が面白い)はまだ続行していた。
Cクラスになってますます面白いと思えるヤツがいなくなったので、頭の中では数式により僕は相当面白いヤツということになっていった。だからネタ見せは毎回新ネタを用意し全力でぶつかっていた。だからCクラスになりめげることもなく、ネタ見せは毎回新ネタを用意し全力でぶつかって行った。
当時僕の主力のピンネタは、ラジカセに吹き込んだ自分の声と会話する形式のネタだった。陣内智則さんの劣化版のような感じだ。ちょっと間違えるとラジカセのほうがどんどん会話を進めていき、取り戻しが利かないという弱点はあった。
僕的には面白いネタだったので、笑いが起きないのが不思議だった。今読み返してみても面白いと思うんけど、みなさんどうですかね……?
初めての相方はインドネシア人とのハーフ
こうやって、僕はずっと自分の面白さを疑わなかったので「ちゃんと評価できるが人いたら、僕はすぐ売れるはず」、そう思っていた。しかし、ピンの活動には限界を感じてもいた。そもそもピンでずっとやりたいわけではなく、一時的にピンでやっていただけだったので。第一希望はずっとコンビだった。でも組む人がいない。
自分から「コンビ組もうよ」とはなかなか言えなかった。女子に「ホテル行こうよ」って言うのと同じくらい勇気がいる言葉だったので。
そんな僕も、1回だけコンビを組む機会が訪れた。相方はインドネシア人と日本人のハーフで、ヤツが「1回コンビ組んでみーひん?」と誘ってくれたのだ。ハーフと言いつつ、見た目も日本人やし、日本語もペラペラ。楽しそうな感じのヤツやったのでコンビを組んでみることにした。
ネタは僕が書いた。初めて漫才を書いた。どんな内容だったか覚えてないが、たぶん全然面白くなかったと思う。でも初めて書くなりに、目新しさを求め、ベタなボケは入れず、攻めたツッコミを入れた台本を書いた。
そしてその台本をインドネシア人とのハーフの相方に渡し、二、三度練習してネタ見せの授業に挑んだ。練習では楽しく決して上手とは言えないが、味のある感じにできていた。