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今年、海でのトラブルが多発するかも…『海猿』出演のプロライフセーバーに聞く

学び

高校時代のあだなは「もやし」

飯沼誠司さん

かつては「身体を強くしたいという憧れがあった」という飯沼さん

 いまでは、ライフセーバーの第一人者として活躍している飯沼さん。だがこの道に足を踏み入れたのは、意外な理由からだった。

身体が白く、細かった。高校時代のあだ名は『もやし』で、『とにかく、身体を強くしたい』という憧れがあったんです。幼い頃に水泳を始めたのも、喘息やアレルギー持ちという虚弱体質を変えるため。ところどころで、サッカーや陸上にも手を出しながら、競泳はずっと続けていました。

 でも、高校の時、記録が出なくて伸び悩んでしまうんです。毎日多い時は20キロくらい泳いで、必死に練習を頑張っているのに、3年間でタイムが1秒しか伸びない。競泳選手としての限界を感じました」

 それでも、「泳ぎ続けたかった」という飯沼さんは、大学入学後にライフセービングと出会う。

「新入生のとき、ライフセービング部に話を聞きに行きまして、身体を鍛えた人たちが、波の中をこえてレスキューしたり、迫力あるレースをしている様子をビデオで見せられまして、『こんなたくましい人がいるんだ』と思いました」

正義感が仇となる水難事故のリアル

飯沼誠司さん

「救護用のベット隠れて寝ていたこともありました」という

「夏の海岸では、毎日朝9時から16時までライフガード。その前後に2時間の練習という日々でした。トレーニングはとても面白かったですが、1年目は、事故のない平和な日が続いたので、モチベーションの維持は難しかったですね。なかなか緊張感が浸透しなくて、救護用のベットで寝ていたこともありました」

 平和な海岸で業務とトレーニングに励む飯沼さんが、初めて事故に出くわしたのは、2年目の夏のことだった。

「監視タワーから見ていた時に、中学生くらいの子が溺れているのを見つけました。近くにいる先輩隊員に向けて『レスキュー!』と叫んだのですが、波が大き過ぎて、目の前にいるのに助けに行けないという状態で……

 結局、『手遅れになる前に救いたい』と、僕が救助器材を何も持たずに助けに行ったんですが、その子に必死にしがみつかれてしまって、僕も一緒に溺れそうになってしまいました。この時は、その後にボードが得意な別の先輩にピックアップしてもらって事なきを得たのですが、これまでにやってきたこととはまったく違う怖さがありました」

 実際の水難事故に出くわし、「自身に降りかかるリスクもわからず必死になりすぎて、どうしていいかわからなかった」と語る飯沼さん。この経験をきっかけに、心を入れ替えたという。

「『泳げる』ことが、必ずしも救助に長けているわけではないことを知り、国内外の事例を見て勉強したり、みんなのモチベーション上げて指導するにはどうすればいいかを考えるようになりました」

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