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職場で号泣した元野村證券YouTuberに聞く「地獄の新人時代と転機」

学び

弱小野球部出身、2浪から早大野球部へ

――どんな浪人生活でしたか。

宋:2年目は必死でしたね。散々さぼったので予備校に行かせてくれというわけにはいきませんから、近所のマクドナルドで毎日12時間以上勉強しました。その甲斐もあって、何とか早稲田大学の人間科学部に合格することができました。いま思えばここが私の人生のターニングポイントだったと思います。「やればいける!」という感覚を19歳の時に知ることができたのは大きかったです。

――その後、名門早稲田の野球部に入部。弱小野球部の出身、2浪とブランクもある中でなぜ決断できたのでしょう?

宋:やればいけると思っていました。選ばれて入部した部員は高校で3年間死ぬほど練習したから上手いだけ。ポテンシャルで私が劣っているとは思わなかった。4年間で同じ土俵に上がってやろうと思っていました。根拠は全くなかったですけど(笑)。

――体育会系というと理不尽なしごき、上下関係などがあるとも聞きますが。

宋:しんどかったですよ。練習もつらかったですが、「先輩の前でジュースを買っちゃいけない」「先輩と同じ電車に乗ってはいけない」とか謎のしきたりもありました。100万回くらい「ほんま意味不明やな」と思っていましたね。

野球部監督の一言で野村證券へ

元野村證券

監督に「仕事のほうが向いているんじゃないか」と言われた

――野球部をやめようとは思わなかった?

宋:当時はプロ野球選手になるという夢がありました。だからやめるという選択肢はなかったです。それに、先も見えない中でずっと1人で勉強していた浪人時代に比べれば、野球部には30人くらいの同期、しごかれる仲間がいたので辛くはなかったです。

――大学を卒業後は野村證券に入社。プロ野球ではなく社会人の道を進む決断をしたきっかけはなんだったのでしょう?

宋:単純に実力が足りなかった。早稲田の野球部にいて、プロになる人間のポテンシャルがわかりました。同じ実力になるために、私は彼らの何倍もの努力が必要だった。だからプロは自分が飯を食っていく場所ではないと思いました。

 もちろん、社会人野球という選択肢も考えていたんです。そんな時、監督から「社会人野球はお前の勝ちやすいフィールドではない、仕事のほうが向いているんじゃないか」と言われ、それで自分のなかで納得できました。自分の夢よりも、勝てるフィールドに行くことを決断したんです。

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