今だったら軽く1億円は…。江本孟紀が語る「昭和のプロ野球」伝説
今だったら軽く1億円はもらえているはず
――はっきりとした語り口は、選手時代から全く変わらないですね。
江本:短気ですからね(笑)。選手時代の年俸交渉もそんな感じでしたよ。ちまちまと交渉せずに、僕は2回だけ。南海も阪神もケチで、カネがないのは分かっているから、何度交渉に行ったってたかが知れている。
球団のお偉いさんが「お前みたいな若造が、俺の給料の3倍ももらいやがって」とかブツブツ言いながら、2ケタ勝っていても「去年より負けが1つ多いな」とか下げようとするからね。そういうテクニックなんでしょうけど。
だから、初回の別れ際に「金がないのは知っていますから。今年はせめて、これだけはください。次にハンコ押しますから」と割り切って伝えていました。年俸が下がったことは一度もないけど、そんな感じだから上げ幅はいつもちょっとだけ。今だったら軽く1億円はもらえているはずなんですけどね(笑)。
野球選手は会社員ではなく、自分が社長
――交渉の仕方も直球だったんですね(笑)。エモヤンらしさ全開です。
江本:野球選手は会社員じゃないですから。個人事業主なので、自分が社長なんです。ちまちま交渉して年俸を上げてもらっても、球団に大きな顔をされて、何でも言うことを聞かないといけなくなる。
だったら、最初からある程度で諦めて、その代わりにあとは自由にやらせてもらったほうがいいでしょ。年俸は便宜上12か月分割で払われますが、選手契約の期間は2月1日から11月30日までの10か月間。だから、それ以外は本来フリーなんです。秋季練習なんか一度もしたことはないし、キャンプにあわせて自分でトレーニング。それでも開幕戦を投げて、勝てば文句はないはず(笑)。
でも特に南海時代は、しょっちゅう球団の社長に給料の前借りをしていたんです(笑)。借金で3分の2くらい持っていかれて3日くらいで給料がなくなっていました。給料日に球団事務所に借金取りが待ち構えてね。ほとんど持っていってしまうんです(笑)。
わずかな残りでミナミや北新地に飲みに行って、タニマチのごちそうになったりしてしのいでいました。
計算したことないけど、あまりに年俸が安かったから、たぶんタニマチがくれた車代のほうが多かったんじゃないかな(笑)。でも、今の時代はキャッシュレスですからね。タニマチも現金を持ち歩かないから、車代もでない。現役の選手たちは、どう思ってるんですかね。やっぱり温故知新ですよ(笑)。
時代が変わっても、もう一度立ち戻ったほうがいいことはたくさんあると思います。
<取材・文/中野龍 撮影/スギゾー。>