芸人・品川祐が語る「ブレイクとバッシング」を経て見えた新境地
2001年、深夜番組『虎の門』(テレ朝系)で注目を浴びて以降、多彩な活動でたびたび話題となるお笑いコンビ、品川庄司の品川祐さん(47)。これまでバラエティ番組での活躍だけでなく、映画監督、役者、小説家など、変幻自在に表現活動を行って来た。
来年に映画『リスタート』の公開が控えるなか、現在はどんな思いで活動しているのだろうか? 前編では、フリーター時代のエピソード、コンビ結成の経緯などについて話を聞いた。
後編では、初の冠番組を掴んだときの心境、長編映画デビューの裏話など、さらにパーソナルな部分を深掘りしていく――。
有吉さんはオレじゃなくても売れたと思う
――2001年に『虎の門』でレギュラーの座を獲得して以降、『品庄内閣』『秋葉な連中』と立て続けに番組がスタート。この時の気持ちを教えてください。
品川祐(以下、品川祐):感覚的には、売れてるって意識がまったくなかったですね。ダウンタウンさん、ロンブーさん、ナイナイさんが売れてるのを見てるから、『品庄内閣』を半年やったらゴールデンの番組をもつぐらいのイメージだった。でも、実際には『ココリコミラクルタイプ』でもひな壇の立ち位置だし、『秋葉な連中』も深夜だしっていう。
その当時、よく天狗になってたとか言われますけど、どっちかっていうと“イライラして常にキレてる”感じだったんですよ(苦笑)。面白かった企画も、制作側とかお偉いさんの都合で変わって、番組がつまらなくなっていったりもして。いろんな要素でムカついてましたね。
――2006年頃から『アメトーーク!』でひな壇芸人として活躍するなかで、2007年に有吉弘行さんから「おしゃべりクソ野郎」とあだ名をつけられています。当時、有吉さんが今のようにブレイクすると感じていましたか?
品川:有吉さんは番組プロデューサーの加地(倫三)さんにも気に入られてたし、オレじゃなくても売れたと思うんですよね。たまたま僕が失速していった時期と重なっただけって気がして。そもそも有吉さんには実力があるって思ってましたから。
ラストイヤーのM-1に出場した感想
――2005年のM-1グランプリで第4位。品川庄司さんはラストイヤーで、思い入れも強かったように思います。
品川:M-1の初年度に事務所側から「出ろ」って言われたときはすごい嫌だったんですよ。僕らはもうテレビに出てて、バラエティで頑張ってたし、客寄せパンダみたいになるなって思いもあったから。2年目に一応出たんですけど、準備不足でやっぱりダメで。ただ、3年目か、4年目のM-1がすごい面白くて、家で見てたときに「芸人としてなにやってるんだ」って思いに駆られたんです。
それでラストイヤーは、1年間M-1のためにみっちりやって。だから、ほかの芸人さんみたいにずっとM-1にかけてたってわけでもないんです。最後の1年だけはすごい頑張りましたけどね。