品川祐、お笑い芸人になる前の夢「僕のなかの小さな芸能界だった」
2001年、深夜番組『虎の門』(テレ朝系)で注目を浴びて以降、多彩な活動でたびたび話題となるお笑いコンビ、品川庄司の品川祐さん(47)。
これまでバラエティ番組での活躍だけでなく、映画監督、役者、小説家、さらにはYouTubeチャンネル『品川ヒロシチャンネル』を開設するなど、変幻自在に表現活動を行ってきた。来年に映画『リスタート』の公開が控えるなか、現在はどんな思いで活動しているのだろうか?
彼のルーツを探るべく、幼少期の思い出やフリーター時代のエピソード、コンビ結成の経緯など、直接本人にインタビューを敢行した。
当時のことを話せる人が限定される幼少期
――現在、お笑い芸人だけでなく、多彩な活動をされていますが、子どもの頃はどんな少年でしたか?
品川祐(以下、品川):2通り言われますね。体格がでかいからエバッてたっていうのと、ちょっとイジメに遭ってたっていう。僕ね、小学校の頃の記憶が薄いんですよ。というのも、小学校3年生で引っ越しして、中学校もみんなとは別のトコに行ったんです。だから、当時のことを話せる人が限定されちゃうってのもあるんですよね。
――なるほど。では、好きだったバラエティ番組はありますか?
品川:めちゃめちゃ見てたし、テレビの記憶はありますね。小学校の頃に漫才ブームがあって、『ドリフ』『ひょうきん族』、その後にとんねるずさんやダウンタウンさんの番組もそうですし。僕は野球があんまり好きじゃなかったので、プロ野球で『ひょうきん族』がなくなると泣いたりして。
あと、ゴールデン洋画劇場もよく見ていましたね。親の影響もあって、映画好きな小学生だったんですよ。日曜日は新宿に1人で出かけて、朝から晩まで映画見ていましたね。
芸能界を遠く感じなかった理由
――幼い頃にご両親が離婚されていますが、影響は大きいと思われますか?
品川:分かんないですけど、どっか浮世離れしてるのかな……。お袋が人気小説家の愛人だったりとか、出版社の人が家を出入りしてたりとか、3番目のオヤジが悪役俳優だったりとか。
なんか近くに芸能界があったから、あんまり遠い世界に感じなかったし、ビビったりってことがなかったですね。