寝具業界の風雲児が「予想以上だった」と語る、業界の壁とは?
予想以上だった「寝具業界の壁」
――なるほど。
高岡:ところが、全然ダメでした。最初は素材を寝具メーカーや家具メーカーに売り込もうとしたのですが、当時の主流は低反発のウレタン素材。我々が取り扱う反発力の強い素材はまったく受け入れてもらえませんでした。
そこで、1年かけてエアウィーヴを開発しました。しかし、そこでもつまずいてしまいました。なぜなら寝具業界でモノを言うのは、長年かけて培った会社のブランド力と、売り場面積確保のための販売チャネル。いくら店舗に営業をかけても、参入障壁は高く、新参者が意気揚々と入り込める売り場スペースはなかったのです。
――普通ならその段階で諦めてしまいそうです……。
高岡:いやいや、一族と社員の命運がかかっていますから(笑)。そこで、我々は徹底的なプルマーケティングを実施しました。つまり、自発的に話題作りをして、こちらからプロモーションを仕掛ける戦略です。
まず手始めに、国立スポーツ科学センターというオリンピック選手がよく訪れるスポーツ科学の中枢施設に、エアウィーヴを置かせてもらえるようにしました。すると、あの北島康介選手が使ってくれるようになって、すごく良い評価をいただけた。「有名アスリートの反応=商品実績」を活用して、寝具売り場の責任者を説得するんです。
「北島康介選手のお墨つき」から徐々に勢力を拡大
――あの北島康介選手から太鼓判を押してもらえれば、寝具売り場にも入り込めそうです。
高岡:わずかな面積でもいいので売り場を確保できれば、「エアウィーヴってなんだ!?」とウワサを聞きつけたテレビ局や新聞社が取り上げてくれる。そうすると、翌日には商品知名度がアップしているので、次は大丸や松坂屋といった業界大手の売り場面積も確保できる。そうやって、少しずつエアウィーヴのユーザーを増やしていきました。
――まさに三河から天下を統一した徳川家康のように、逆境に耐えながらジワジワ勢力を拡大していったんですね。
高岡:だから、2007年に創業して、最初の3年間はとにかくブランディングに必死でした。もちろんその間は収益なんてほとんどありませんから、私個人の名義でも借金があり、本当に大変でした(笑)。
2010年にようやく売上高が3億円を超えたんですが、2011年に浅田真央さんにブランドアンバサダーになっていただいたこともあり、ブランディングの効果が一気に売上高となって現れ、2014年には100億円を突破するまでに成長しました。
2020東京オリンピックに焦点を絞る
――そこから海外展開もされていますよね。
高岡:そうなんです。でも、海外展開は本当に難しい。実は2016年にアメリカでエアウィーヴの市場を作ろうと20億円投資しましたが、マーケティングの段階で失敗してしまいました……。まあ、豊臣秀吉の朝鮮出兵ではありませんが、意固地になって二度やると豊臣家も滅びてしまいましたからね。とりあえず今は1回でやめとこうと判断しました(笑)。
――今後の展開などがあれば教えてください。
高岡:実は今、2020東京オリンピックで使われる寝具に、エアウィーヴを提案させてもらっています。それと、2019年から病院・介護向け寝具の世界にも進出しまして、日本最大の床数を抱える藤田医科大学病院にエアウィーヴが導入されました。
ですから、将来的に再度海外進出があるとすれば、国内の新規事業で体力をしっかり蓄えてから、2020東京オリンピック以降に改めてチャレンジしたいという野望はありますね。
インタビュー後半はこちら
⇒ 睡眠の質を上げるコツは?寝具会社会長がやっていること
<取材・文/永田明輝 撮影/林紘輝 画像提供/エアウィーヴ>