「ラーメン凪」代表が初めて語る修行時代。“一蘭スープ工場”で…
近年、競争の激しいラーメン業界において次々と“新基軸”を打ち出し、注目を集める企業があります。「すごい煮干しラーメン凪」や「ラーメン凪 豚王」など、都内近郊やアジア圏に50以上もの店舗をかまえる株式会社 凪スピリッツです。
社名の“凪”には「風のないところに風を起こそう」と、自らの思いを込めたと明かしてくれたのは代表取締役社長である生田智志さん(41)。
グループの発祥の地「すごい煮干ラーメン凪 新宿ゴールデン街店 本館」でこれまでの歩みを伺いました。
「すごい煮干ラーメン凪」知られざる誕生秘話
福岡県北九州市を故郷に持つ生田さん。ラーメン業界へ入ったきっかけは、19歳でアルバイトとして入社したとんこつラーメンの老舗「一蘭」だったと話します。
「高校卒業後は警察官を目指して、新聞奨学生として働きながら公務員浪人をしていました。当時は、飲食業界に入るとは思っていなかったですね。むしろ自分の“食へのこだわり”がなさ過ぎて、コンプレックスを感じていたほど」
そんな生田さんの転機は19歳で福岡県の小倉に住んでいたとき、地元・キャナルシティ博多に一蘭の新店ができたこと。噂を聞いて、早速行ってみたそうだ。
「のれんをくぐる構造が純粋に面白いと思って、いざ食べてみたらこれまたおいしくて衝撃を受けたんです。記憶の限りでは、本当に心から“おいしいと思える食べもの”との初めての出合いだったのですが、その後、アルバイトとして入社して最終的には10年近く勤めました」
上司にとにかくかわいがられた“一蘭”時代
2年間のアルバイト生活を経て、正社員となった生田さんは「関東出店チーム」の一員として新店舗の開拓を担当するようになり上京。当時、社内で「先輩たちにかわいがってもらった」という経験が、のちの独立時にも活きているといいます。
「実は、一蘭ではスープを作らせてもらえなかったんですよ。ただ、先輩たちになぜかかわいがられていて、正社員として働いていた当時『仕事が終わったらちょっと来いよ』と言われたので行ってみると、とんこつの炊き出し方などを教えてもらえたこともあります。
なぜでしょうね。理由をはっきりと聞いたことはないのですが、おそらく何となく『コイツといると面白い』と思ってもらえていたのかもしれません。子どもの頃から、人を驚かせたり、楽しくおもしろく過ごして、みんなと一緒に何かをやるというが好きだったのも関係しているのかなと思います」