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『ガキの使い』放送作家・高須光聖氏、ネットでお笑いの「時代が戻って来てる」

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『4時ですよ~だ』(毎日放送)で放送作家デビューし、テレビ業界で実に30年以上ものキャリアを誇る高須光聖さん(55)

高須光聖

高須光聖さん

 言わずと知れたお笑いレジェンド・ダウンタウンの2人とは幼なじみであり、ブレーンとして彼らの活躍を支え続けて来た“戦友”でもある。

 今年8月、そんな高須さんが時代小説『おわりもん』を上梓した。一体どんな思いから物語を書くに至ったのだろうか? 前編では、学生時代のエピソード、業界に入るまでの経緯などについて話を聞いた。後編では、バラエティ番組の裏話、若手の放送作家に思うこと、小説を書いたきっかけなど、さらにパーソナルな部分を掘り下げていく――。

『ガキの使い』の前説からレギュラーになった人物

高須光聖

――1989年に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』がスタート。それまでのバラエティ番組とは一線を画した企画が新鮮でした。

高須光聖(以下、高須):当時は、ダウンタウンの2人が「見たことがないもの」「新しいもの」を追求してましたからね。ただ、深夜番組なのでスタート当初はお金がなかった。それで僕を含めたスタッフが出演するようになったんです。山ちゃん(山崎邦正、現・月亭方正)なんて最初からレギュラーだったわけじゃなくて。あまりに演者がいないから、番組の前説をやってた関係で出演してもらったのがはじまりですからね。

――とはいえ、“笑ってはいけない”シリーズは、いまや年末に欠かせない国民的な特番です。

高須:2005年の『絶対に笑ってはいけない高校(ハイスクール)』のときに、当時番組プロデューサーだった菅(賢治)さんが「大晦日にこれできたらいいよね」みたいなことを言ってくれて。それならということで、大晦日のゴールデンでいろんな豪華な方に出てもらおうと考えたんです。それが結果的に毎年恒例って流れになりました。

 ただ、僕は番組の出演者とスタッフだけだった初期の頃のほうが好きですけどね。だんだんパターンも決まって来ますし。やっぱりやったことのない新しい展開でジャンプできたのは“ハイスクール”のときだったかなと。いまの形の原型になりましたからね。

「とんねるずとダウンタウンが仲悪い」噂の真相

高須光聖

――『ダウンタウンのごっつええ感じ』の放送作家を担当していた当時、暗黙の了解として「別の芸人コンビの番組には手を出してはいけない」という空気があったそうですね。

高須:フジテレビって「第一制作」と「第二制作」に分かれていて、それぞれの部が抱えているタレントを使うなっていう暗黙のルールがあるんですよ。第一制作のほうにとんねるずさんがいて、第二制作のほうにダウンタウンやウッチャンナンチャンがいてっていうような。それが、とくに当時はバチバチで。

 よく「とんねるずとダウンタウンが仲悪い」って言われますけど、そもそも制作側で敵対意識もってるんやから、そりゃタレントだってそうなるでしょと。同じ番組で会いようもないし、年に数回しかない特番で共演すれば違和感があって当然ですよね。ただ、浜田はいろんなところで会って、石橋(貴明)さんとも話したって言うてたし、意外とタレントさんのほうが壁はなかったりするんですよね。

おわりもん

おわりもん

ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ナイティナイン……多くの煌めく才能と数々のヒット作を生み出してきた著者が挑む、究極の人間讃美の物語。

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