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なぜ「自分は不幸だ…」と思い込むのか?“ログインボーナス感覚”に解決のコツが

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ツールは変わっても人間自体は変わらない

 人間はつい、時代が進めば自分たちも進歩すると思ってしまいがちです。しかし、実は時代にしたがって人間の生み出すものは変わっても、人間自体は変わりません。たとえば現代ではコミュニケーションツールが大きく発達して、ZoomやらSNSやらと人間同士の繋がり方は大きく変わりました。

 でも、そのツールに乗せて伝える人間の心は変わっていないのではないでしょうか。恋心を手紙に託した時代、電話に託した時代、メールに託した時代、SNSに託す時代、と、ツールは変わっても、人間の恋心自体はシンプルに「好きです」のまま変わりません。

 子どもたちが公園で遊ぶ代わりにタブレットで遊ぶようになっても、子どもたちの笑い声も泣き声も変わりません。人間は、用いるツールを変えることはできても、人間のあり方自体を変えることはできないんです

「21世紀の新しい思想」というのもしばしば出てきますが、大体の場合、その切り口は聖書かギリシア哲学の時点ですでに提示されているものです。「これは新しい思想だ!」と思っても、その多くはプラトンやアリストテレスが大昔にもう考えていたものだったりします。

人間のために進歩はある

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 たとえば民主主義は現代では最も進歩的な政治形態だと考えられていますが、その問題点についてはプラトンが2500年も前に指摘していますし、それが今現実に起こってもいます。

 時代が変わっても、人間自体は変わらない。このことを忘れてしまうと、生きるにも仕事をするにも苦しくなるように思います。人間は「新しくなくてはいけない」なんてことはないですし「進歩しなければならない」なんてこともないんです

 欲望が、いくら栄華を極めても満たされない虚像であるのと同じように、進歩もまたいくら進んでも果てのない虚像です。進歩のための進歩に意味はありません。でもがっかりすることはありません。「変わらない人間」にしっかりと軸足を置いた進歩は確実に生活を便利にしてくれます。

 進歩によって「好きです」の一言は伝えやすい世の中になりました。進歩のために人間はあるのではなく、人間のために進歩はあるんです。現代社会、それが往々にしてひっくり返ってしまいがちです。進歩のために人間があるならそれこそ「空の空」、人生は虚像になってしまいます

人生を深める おとな聖書: 教養とはこういうものだ。

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