漫画アシスタントの過酷すぎる日々とは?話題のインディー作家が語る
驚愕した過酷な漫画制作の現場
──目標にしていた漫画アシスタントの現場はいかがでした? 思い描いた通りの環境でしたか?
イマダ:思った以上に過酷な現場でしたね。当時、土山先生は月に連載で200ページぐらいを描いていたんですよ。アシスタントも常時5〜6人抱えて。それだけ人数がいても、あるときは1か月間ずっと休みなしで。みんな机の下で寝たり、ときには、徹夜のまま仕事をしたり。
──今で言う、ブラック労働のような環境だったのですね(笑)。
イマダ:今にして思えばそうですね。土山先生も何度か仕事場で倒れてますから。後ろでどさっと音がしたので振り返ると、床に倒れていて。みんなが駆け寄ると、むくっと立ち上がって「大丈夫、大丈夫。さあ、続きをやろう!」って(笑)。
アルバイトは約20種経験
──鉄人のような方ですね(笑)。そのペースに合わせるアシスタントの方々は大変だと思います。
イマダ:そういう現場を間近で感じられたことは、本当に勉強になりましたけどね。「ここまでやるんだ」と。あと、先生はめちゃくちゃ漫画が好きなんですよ。最近、名前が出てきたような若手の漫画もしっかりチェックしていて、ぼくらにも「いろんな漫画家の作品を読んだほうがいいよ」とか薦めてくれたり。だから、めちゃくちゃ感謝していますけどね。
──では、アシスタントをやめようというきっかけは何だったのですか?
イマダ:漫画家さんによって違うんですけど、土山先生は「早く独り立ちしろよ」っていうタイプで。アシスタントも入れ替わりが激しいんですよ。そんな中で、専門学校時代に描いたとある作品を投稿したら、『週刊ヤングサンデー』(小学館)で努力賞を獲得できたので、アシスタントをやめて、アルバイトをしながら投稿してみようと。
──新人賞に入選できたことで踏ん切りがついたと。それから別の仕事をしながら、出版社の持ち込みや投稿をされていくのですね。
イマダ:色んな経験をした方がいいなと思ったので、約20種はアルバイトをしながら描いてました(笑)。それで、仕事の合間をぬって、漫画を描いて、持ち込んでっていう。今振り返ると、よくやったなって思いますけど。