一流のアドバイスに投資を惜しむな。「富豪作家・貧乏作家」の分かれ道とは
2000年代から始まったビジネス書ブームを覚えているだろうか? 当時、勝間和代氏や神田昌典氏、本田健氏、レバレッジシリーズの本田直之氏といった時代の寵児たちがビジネス書を多数出版し、次々とベストセラーが誕生した。
あれから10年あまり、当時のビジネス書作家たちは何をしているのか?『成功本50冊「勝ち抜け」案内』(2008年、光文社刊)でデビューし、最新刊『富豪作家 貧乏作家』まで累計30冊以上のヒット作を生み出したビジネス書作家でもあり出版コンサルタントの水野俊哉氏が、一世を風靡したビジネス書作家の今に迫る。
今回は、マサチューセッツ工科大学(MIT)経営大学院でMBAを取得後、マネックス証券の創業に参画するなど金融業界で活躍し、投資に関する著書は40冊を超える内藤忍氏(ないとう・しのぶ)に話を聞いた。
マネックス証券社員から作家に
水野俊哉(以下、水野):2005年にビジネス書作家としてデビューされた内藤さんですが、デビューのきっかけは何だったのですか?
内藤忍(以下、内藤):ビジネス書作家になる前、私はマネックス証券のサラリーマンで金融関連セミナーを担当していました。企画から講師、開催場所の手配、集客を一手に引き受けていたのですが、ある日「これなら私でもセミナー講師ができるのでは?」と思ったのです。
その後、私はセミナー講師になったのですが、2回、3回と続けていくうちに、ふと「1回100人の定員で100回開催して1万人を集めるより、もっと効率的な方法があるのではないか?」と考え、そこで思いついたのが「書籍の出版」だったんです。
多くの人に情報を届けられる手段にかけた
水野:それから、最初の出版までは順調に進んだのですか?
内藤:いえいえ。「出版したい」と言い続けたものの、編集者はなかなかいい顔をしてくれませんでした。全部で20社くらいの出版社に断られましたね。当時は「アセットアロケーション」というコンセプトで投資している人がほとんどおらず、類書もなかったため出版社も及び腰だったのでしょう。
「なかなか出版社が決まらないな……」と悩んでいた時、自由国民社の編集者だった長岡さんと知り合うことができ、そこからトントン拍子に出版の段取りが決まりました。長岡さんご自身が資産運用していたこともプラスに働き、2005年に『内藤忍の資産設計塾』が発売されたんです。本当に嬉しかったですね。
水野:『資産設計塾』の出版以降、次々にオファーが来たと聞いています。これまで40冊以上の著作を出されていますが、一番多い年には年間何冊出版されていたのですか?
内藤:「依頼されたら断らない」ことをモットーに、多い時で年に6冊出版していました。資産設計の著書がほとんどですが、仕事術の本を出したこともあります。現在は、年間1~2冊ペースで本を出版しています。