片目がほぼ見えない“介護福祉士”が経営者に「ケアする人をケアしたい」波瀾人生
認知症のケアをする人から変えていきたい
てれたすさんは、特別養護老人ホームの介護課長として業務のIT化やシステムの開発などを務め、施設の効率化を図った。
「人の役に立ちたいと思って始めたのに、記録ばっかりやらなきゃいけない、そういうことを改善し、ケア以外の部分の労力を減らしたかったんです」
その努力が認められ、同ホームの副施設長になり、後に施設長にもなったてれたすさん。また、認知症に対する理解を深め、認知症の人に適切なケアを行き届けたいという想いから、認知症介護指導者の研修を受け、指導者としての活動も始めたという。
「認知症の人は認知機能に障害があるので、僕が持っているのと同じ障害者手帳が取れるんです。でも認知症の人は『バカ』だとか『ボケてる』だとかいう偏見を持たれがちです。それが僕は嫌だったので、認知症のケアをする人から変えていきたいと思ったんです」
パワハラで鬱になり長年勤めた施設を離れる
施設長も勤め、10年以上同じ施設で働いたてれたすさんだったが、3年ほど前にそこを離れることになる。きっかけは「あなたとは一連托生だから」と言っていた社長に、その2か月後に「会社に来るな」「降格させる」などと言われたことだった。
「突然パワハラが始まりました。当時は同業者から頼まれ採用コンサルティングとして会社の了解を得て、副業でコンサルをしており、働きやすい職場づくりや、認知症介護指導者としてセミナーを行ったりしていたのですが、その利益が初月200万円と、社長よりも収入が多くなったんです。そんなことから目障りになったんだと思います。パワハラによる影響で眠れなくて、仕事に集中できなくなり、ミスが増えて怒鳴られるという、負のスパイラルで、毎日が地獄でした」
最終的には長年勤めた施設を離れざる負えなくなり、他の介護施設に移ったという。しかし、うつ病と診断され、抗うつ剤も飲んでいたてれたすさんは以前のように仕事に精を出せず、半年ほどで離職。
「しばらく介護の業界からは離れようと思いました。その後、介護とは関係のない企業に事務員として雇ってもらいました。今でもまだ当時の影響で睡眠薬は飲んでいます」